人口は国力の源である。国際関係の構造は、基本的に「大国」が定め、「小国」はその枠組みの中で生き残るすべを探るしかない。コロナ禍の影響もあり、出生数がさらに減る日本は、人口急減に直面し、政府が目標として掲げる「一億人国家」の維持すら危うい状況に陥っている。このまま、我々は手をこまねいて「小国」となることを受け入れざるを得ないのか。
 小説形式で、多角的な視点から人口問題を論じた衝撃作『人口戦略法案』を著した山崎史郎氏が、日本が過去に逃した人口急減を止める3度のチャンスとは何だったのか、なぜ今人口対策に緊急に取り組まなければならないのかを解説する。

高齢化率40%の「年老いた国」になる危機

 政府は各種の対策を講じているというが、いまだ少子化や人口減少に歯止めがかかっていない。このため、子や孫、さらに将来世代には一体、どのような社会が待ち受けているのか。国民の多くは、日本の将来に大きな不安を抱いている。そうした将来への不安が、人々のチャレンジする気持ちを萎えさせ、消費や投資を鈍らせてはいないか。

 日本の人口は、このままいけば2110年には約5300万人にまで減少すると推計されている。今から約100年前の1915年は同じような規模の人口だったのだから、昔に戻るだけではないかという意見もある。

 しかし、そうした意見は高齢化の問題を度外視している。人口減少は必ず高齢化の進行を伴う。1915年ごろの日本は、高齢化率5%の若々しい国であった。一方、予想される将来の日本は、高齢化率40%に近い「年老いた国」である。

 なぜこんな事態になったのか。筆者は、これまでの人口をめぐる動きや人口政策の歴史を見るに、今日の事態を阻止できそうな機会が、3度はあったと考える。

 1度目は、1970年代後半から80年代にかけて。2前後で安定していた出生率が大きく低下していった時期である。しかし当時は、戦前の「産めよ、殖やせよ」の政策への反省や、戦後の出生抑制政策の流れが強かったことから、出産奨励策はタブー視され、対策はまったく講じられなかった。

 また、出生率の低下は「出産のタイミングの遅れ」による一時的現象で、いずれ回復するだろうという楽観的見通しが、専門家の間でさえ共有されていた背景もあった。「出産奨励のタブー視」である。

 2度目は、1989年に出生率が「ひのえうま」の年を下回った「1.57ショック」をきっかけとして、政府が少子化対策に乗り出した90年代前半である。初めて取り組んだ姿勢は評価できるが、政策は小粒で、有効な成果にまでは至らなかった。政府全体の力点が眼前の課題、高齢化対策に置かれ、少子化対策への取り組みは質量ともに十分でなかったことや、子育て制度の拡充について関係者の理解が十分得られなかったことが理由にあげられる。「政策の後回し」である。

人口減少を阻止できる機会は過去に3度あったが……(写真:StreetVJ/shutterstock.com)
人口減少を阻止できる機会は過去に3度あったが……(写真:StreetVJ/shutterstock.com)

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