開発効率の大幅向上で半導体を「民主化」

 ディーラボのセンター長に就いた黒田は、今「50年に一度の大舞台が回ろうとしている」と語る。

 「これまでの半導体ビジネスは安価な汎用チップを大量生産することが王道でしたが、特注で少量生産する専用チップに主役が代わりつつあります。規格化した出来合いのチップを組み合わせるだけでは、社会問題を解決し、未来の社会を築くサービスや機器を作れません。カギを握るのは社会問題を肌で感じている企業、つまり、これまではチップを使う側にいた企業です」

 「ところが、専用チップにはカネも時間もかかる。ユーザー企業が俊敏に設計できるようになるには、コンピューターによる自動設計が欠かせません。ソフトウエアを書くようにプログラミングするだけで、自動的に半導体チップができるような設計ツールが必要になります」

 黒田が掲げているのは、開発の効率を現在の10倍に引き上げるという目標だ。このツールさえあれば、半導体の開発は米国や中国などの一部のメーカーの独壇場ではなくなり、半導体メーカーではない様々な企業が自前のチップを手にすることができる。半導体が社会のインフラであるならば、誰もが半導体の技術にアクセスできなければならないはずだ。黒田はこれを「半導体の民主化」と呼ぶ。

 黒田のチームの試算によると、5G地上局のチップを従来の手法で開発する場合、期間が14カ月、開発費が45億円かかる。それが自動設計ツールと3次元(3D)の集積技術を使うと6カ月、15億円に短縮でき、しかも性能が約2倍になるという。

高速通信規格「5G」の地上局に使用する半導体を自動設計ツールで開発すると、開発期間を大幅に短縮できるという(写真:TPROduction/shutterstock.com)
高速通信規格「5G」の地上局に使用する半導体を自動設計ツールで開発すると、開発期間を大幅に短縮できるという(写真:TPROduction/shutterstock.com)

 だとすると、民主化を可能にする自動設計ツールを握る企業や国が、近未来の半導体バリューチェーンのチョークポイント(急所)を制するのではないか。

 設計支援ツールは今のところ米国の3社による寡占状態であり、トランプ政権が中国向けの半導体にツールを使うことを禁じたため、ファーウェイは完全にお手上げとなった。

日本の覚醒が始まった

 日本も米国だけに依存するわけにはいかない。次世代の自動設計ツールの知的財産(IP)を日本企業が持ち、外国の企業に供給する立場になれば、日本の優位性は一気に高まるはずだ。黒田のプロジェクトには、地政学的な変革を起こす起爆力がある。

 もちろん、世界での競争は厳しい。米国、中国をはじめ世界の企業は、新しい設計ツールの開発にしのぎを削っている。中でも米国防総省の国防高等研究計画局(DARPA)が指揮する米国の研究開発の動きは速い。当然、中国でも同様のプロジェクトが進んでいるはずだ。

 たしかに日本にはグーグルやアマゾンはいない。極超音速ミサイルやロボット兵器を作る企業もない。だが、少子高齢化が進む日本は、人々の暮らしの質が問われる「課題先進国」である。大舞台が回り、次世代の半導体チップが求められる今は、社会的な課題を多く抱える日本の大チャンスなのかもしれない。

 生産年齢人口の減少、都市部への人口集中、インフラの老朽化、気候変動による自然災害の増加――。日本が直面する社会問題は、様々な分野で半導体の用途を広げるだろう。

 東大の黒田のもとには、思いもよらぬ業種の企業から「こんなチップを作れないものでしょうか」と奇想天外なアイデアが寄せられているという。1980~90年代の活力を失ったとされる日本企業も、捨てたものではない。現場での経験に基づく半導体のユーザー企業の知見が、日本の半導体技術を押し上げる。

 覚醒は始まっている。



技術覇権を巡る壮大なゲーム
日本の半導体に未来はあるか

 米中対立の激化に伴い、戦略物資として価値がますます高まる半導体。政府が経済を管理する国家安全保障の論理と、市場競争に基づくグローバル企業の自由経済の論理が相克し、半導体を巡る国際情勢はますます不透明になっている。

 激変する世界の中で日本に再びチャンスは訪れるのか。30年以上にわたって国際報道に携わってきた日本経済新聞の記者が、技術覇権を巡る国家間のゲームを地政学的な視点で読み解き、日本の半導体の将来を展望。

太田泰彦(著) 日本経済新聞出版 1980円(税込み)


この記事はシリーズ「2030 半導体の地政学」に収容されています。WATCHすると、トップページやマイページで新たな記事の配信が確認できるほか、スマートフォン向けアプリでも記事更新の通知を受け取ることができます。