匠の技を米国に――サプライチェーン完結の野心
その匠の技を米国に誘い込むのが、バイデンの半導体戦略の最大の眼目だ。米国には設計に優れる企業がそろっているが、モノづくりとなると心もとない。有力なファウンドリーは国内になく、ウエハーの切断やパッケージングなどを経てチップとして完成する後工程の産業も弱い。
米政府はこう考えたはずだ。TSMCの工場を誘致すれば、米国内でサプライチェーンが切れ目なくつながる。同社を追いかけて、後工程の企業や、素材メーカー、機器メンテナンス企業もアジアから進出してくるだろう。TSMCを核にして新しいエコシステムをアリゾナに築くことができる――。
バイデン政権の発想は、実のところ極めて単純だ。世界の半導体企業のシェアを分野別に示した図を見てみよう(図表2)。ほとんどの領域で既に米国が首位を占めていることが分かるだろう。足りない部分と言えば、製造と素材だけだ。かつて「半導体大国」だった日本が首位なのは、ウエハーの領域にすぎない。
日本が強いとされる半導体製造装置も、全体で見れば米国企業のシェアが大きい。例えばウエハーに薄膜を形成する装置や、研磨する装置は、ほぼ米国のアプライドマテリアルズ(AMAT)の独占状態だ。検査装置はKLAテンコール、エッチング装置はラムリサーチなど、いずれの製造装置でも米企業が首位を独占する。
東京エレクトロンやSCREENホールディングスなどの日本勢は、確かにいくつかの領域ではトップシェアを握るが、製造装置全体で見れば米企業、とりわけAMATの存在感が圧倒的だ。
しかし、実際にチップを製造するファウンドリーと製造後工程を見ると、台湾のシェアが突出して大きい。この部分をなんとかしなくては……。バイデン政権の狙いは、米国に足りない製造分野の穴埋めである。自前のサプライチェーンを築けば、外国から守ることも、外国を攻めることもできるようになる。台湾のTSMCを呼び込む作戦は、チェーンを米国の国内で完結するためであった。
サムスン電子進出で韓国にも圧力
バイデンの手はここで止まらない。
台湾に続き韓国にも圧力をかけ、TSMCに次ぐファウンドリーであるサムスン電子(三星電子)にも工場進出を促した。
2021年5月21日――。ワシントンで米韓首脳会談に臨んだ文在寅(ムン・ジェイン)大統領は、韓国企業による総額400億ドル(約4兆4,000億円)の米直接投資を発表した。バイデンへの手土産である。
その目玉となるサムスン電子の半導体工場の建設費は170億ドル(約1兆9,000億円)に上り、TSMCの工場とほぼ同じ規模となる。米韓首脳会議の共同声明が、米韓政府の舞台裏の調整を雄弁に語っている。「半導体」という言葉が3カ所、「チップ」が1カ所、文面の中に織り込まれている。
「我々(バイデンと文在寅)は、自動車用の既存のチップの世界的な供給拡大に向けて協力するとともに、相互の投資拡大や研究開発での協力の推進を通して、両国の最先端の半導体製造を支援することに合意した」といった具合である。首脳の声明が、しつこいほどに特定の物品に言及するのは異例だ。
半導体の製造を担うファウンドリー業界の2020年の世界市場シェアを見ると、TSMCの売り上げが59.40%で圧倒的な首位。2位のサムスン電子が13.05%でこれに続く。
このアジアの2社を合わせれば7割以上のシェアを占める。たとえ不承不承進出するのであっても、ひとたび外国企業が米国内に工場を持てば、米国に人質を取られたようなものだ。これに他の米国のファウンドリーや受託生産に参入するインテルが加われば、米政府の影響下にある企業が世界の半導体製造の8~9割を支配することになる。
バイデンは、雪だるまの核になる玉をアリゾナに転がしてみせた。シリコンバレーに匹敵する一大拠点に育つかどうかはまだ分からないが、様々な関連企業を引きつけるアリゾナの磁力が高まるのは間違いない。バイデンが放った網が、世界の半導体企業をからめとっていく――。

技術覇権を巡る壮大なゲーム
日本の半導体に未来はあるか
米中対立の激化に伴い、戦略物資として価値がますます高まる半導体。政府が経済を管理する国家安全保障の論理と、市場競争に基づくグローバル企業の自由経済の論理が相克し、半導体を巡る国際情勢はますます不透明になっている。
激変する世界の中で日本に再びチャンスは訪れるのか。30年以上にわたって国際報道に携わってきた日本経済新聞の記者が、技術覇権を巡る国家間のゲームを地政学的な視点で読み解き、日本の半導体の将来を展望。
太田泰彦(著) 日本経済新聞出版 1980円(税込み)
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この記事はシリーズ「2030 半導体の地政学」に収容されています。WATCHすると、トップページやマイページで新たな記事の配信が確認できるほか、スマートフォン向けアプリでも記事更新の通知を受け取ることができます。
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