大塚グループは、1921年に大塚武三郎(故人)が創業した。当時は徳島県鳴門市周辺で盛んだった製塩事業から出る副産物、苦汁(にがり、=塩化マグネシウム)から炭酸マグネシウムや塩化カルシウムなどの化学原料を精製して販売していた。

 この家業を大きく伸ばしたのが、1947年に30歳で2代目社長となった大塚正士(まさひと)だ。戦後、知り合いの役人から「今は注射薬が不足している。大塚にある原料で作ってみないか」と持ちかけられ、注射薬事業に着手、後に点滴用輸液にも進出した。ポカリスエットの開発で参考にした「リンゲル液」などの輸液は当時利幅が小さく、他の製薬会社はもっと利幅の取れる医薬品へとシフトしていったが、正士は輸液の専業メーカーとして突き進んだ。医療現場で「栄養管理」を重視するようになり、各種の栄養輸液のニーズが高まったのも追い風だった。正士は輸液の製造工程を見直してコストダウンを進め、品質向上に取り組んで他社と差をつけていった。86年には、ポリオレフィン系ポリエチレンを使った輸液用ソフトバッグを開発し、採用している。

輸液の海外展開でもアジアで独自路線

 輸液でリーダー企業となった大塚グループは海外展開も進めていくが、他の日系製薬企業と違うのは輸出戦略でも独自路線を貫いた点だ。他社が欧米市場へと打って出る中、アジアから展開していった。73年に「タイ大塚製薬」を設立すると、翌74年には「大塚インドネシア」と「台湾大塚製薬」を、77年には「アラブ大塚製薬」(後のエジプト大塚製薬)を設けて輸液事業を展開していった。

 76年7月28日、中国河北省で「唐山大地震」が発生。中国政府の公式発表では24万2000人が死亡、少なくとも70万人が負傷したとされ、「20世紀最大の地震被害」と呼ばれた。あらゆる医薬品が必要になる中、中国政府の衛生当局から「品質の良い点滴注射薬の生産拠点を中国に」と持ちかけられた大塚製薬は、81年に日本製薬企業で初の中国合弁会社「中国大塚製薬」を設立し、輸液生産に乗り出した。

 これら海外拠点が築いた大塚製薬への信用が、後にポカリスエットの現地進出を支えたことは想像に難くない。

ニュートラシューティカルズ事業が最高益に貢献

 大塚製薬など大塚グループの持ち株会社である大塚ホールディングス(HD)は2021年12月期の連結決算で、純利益が1610億円と過去最高益の更新を見込む。これに大きく貢献したのが、ポカリスエットの海外事業を含む「ニュートラシューティカルズ(Nutraceuticals)関連事業」の伸長だ。

企業理念「Otsuka-people creating new products for better health worldwide(訳:大塚人は、世界の人々の健康に貢献する革新的な製品を創造する)」が刻まれた石碑(中央下)。徳島市の工場・研究所の敷地内にある
企業理念「Otsuka-people creating new products for better health worldwide(訳:大塚人は、世界の人々の健康に貢献する革新的な製品を創造する)」が刻まれた石碑(中央下)。徳島市の工場・研究所の敷地内にある

 ニュートラシューティカルズとは「ニュートリション(Nutrition、栄養)」と「ファーマシューティカルズ(Pharmaceuticals、医薬品)」を掛け合わせた造語で、1989年に米国人医師のスティーブン・デフェリス博士が提唱した。