
自衛隊制服組トップの統合幕僚長を務めた岩崎茂氏に聞く。日本に防衛産業を育てる政策がなかったのはなぜか? 防衛装備移転に将来はあるか。(聞き手:森 永輔)
日本は戦後、防衛産業を育てるという意識に欠けていたのではと考えています。これは、日本に戦争がなかったからでしょうか?
岩崎茂・元統合幕僚長(以下、岩﨑):我が国に防衛産業を育てようとする意識がなかったかと問われれば、「あった」と思います。しかし、最近の防衛産業を見るに縮小傾向にあるのは事実であり、諸外国と比較して結果的にその意識がやや低かったと評価されても仕方ないと思います。

1953年生まれ。1975年に防衛大学校を卒業し、航空自衛隊に入隊。以降、第2航空団司令(千歳)、航空総隊司令部防衛部長(府中)、西部航空方面隊司令官(春日)を歴任。2009年に航空総隊司令官(府中)、2010年に航空幕僚長。2012年1月から2014年10月まで統合幕僚長。現在はANAホールディングス常勤顧問(写真:加藤康、以下同)
有事や戦争がリアルなものでなかったのではないでしょうか。日本は戦後、憲法9条を掲げて、専守防衛を基本政策 としてきました。このため、日本から戦争を始めることは想定しがたい。冷戦時代は、ソ連の脅威はあったけれども、ソ連にとって正面は欧州でした。かつ、米国の軍事力が圧倒的に強かったので「守ってくれる」との安心感がありました。それゆえ、「防衛産業を育てる」という意識が芽生えず、政策が立てられなかったのでは。
岩﨑:これには、単純でない、いろいろな要因が挙げられると思います。我が国の国是などから、武器輸出には大きな制限があり、国内で生産された武器などは自衛隊が使用するのみでした。よって、生産する数量は限定的であり、どうしてもコスト高になります。
長い間の冷戦期間は、どちらかと言えば米ソの対立でした。ソ連と我が国は隣同士であり、北方領土問題を抱えていましたが、本当の脅威からは少し遠かったことなどがあると思います。
日本は最小限の防衛力、あとは米国に“おんぶに抱っこ”?
戦後の我が国の防衛力を顧みますと、目指すものが「所要防衛力」から「基盤的防衛力」に移行しました。基盤的防衛力構想において、足らざる面は米軍頼みの感があったことは確かだと思います。
ふだん目にしない用語ばかりでしょうから、順に説明しましょう。自衛隊は、朝鮮戦争終了後の立ち上がりのとき、第1次防衛力整備計画(1958~60年)以降、いわゆる「所要防衛力」を目指して防衛力の構築を進めました。これは「もし有事になったときに必要となる防衛力」を準備しようとする、極めて妥当な考えかたです。例えば、航空自衛隊は当初、33個の戦闘機飛行隊の建設を目指し、全航空機の目標機数は1300機体制でした。
ところが、装備品の価格が高騰していき、「所要防衛力」に一向に到達できないまま、方針を大きく転換することになりました。第1回の「防衛計画の大綱」を1976年に閣議決定。この中で、平時には「基盤的防衛力」を維持し、緊急時にこれをエクスパンド(拡張)させ、所要防衛力にするとの構想を示したのです。理論上は大変素晴らしい構想ですが、運用者としては大きな疑問がありました。緊急増勢がどのくらいの期間でできるかが不明なのです。
危機意識が足りなかったのではとの指摘がありました。我が国は、米国と日米安全保障条約を締結しており、当面の足らざる面は米軍頼みの感があったことは確かだと思います。
我が国の防衛構想が「所要防衛力」から「基盤的防衛力」に大きく変更される一方で、防衛産業には、限られた分野であっても我が国の防衛技術を高めたいと真剣に考える人たちが多くおられたと思います。しかし、必ずしも十分な研究開発費や防衛予算が確保できず、結果的にあきらめざるを得ないことがしばしばだったと思います。
また、一部の防衛産業では反体制派などから「死の商人」とのレッテルを貼られることがありました。佐藤栄作政権以前は、共産圏以外への武器輸出は制限されていなかったにもかかわらずです。防衛産業の内側からも、防衛装備事業からの撤退や規模縮小論が浮上した。このような状態は、同盟国である米国に“おんぶに抱っこ”と見られても仕方ない面があったと思います。
防衛庁(省)の中に防衛産業の育成を一元的に担当する部署もなかったのですよね。
岩﨑:そうですね。当時の防衛庁(現在の防衛省)の中に防衛産業を育てるための部局は存在していませんでした。各企業との交渉や契約について、基本的には陸・海・空それぞれの自衛隊の幕僚監部の防備部や技術部など、内局では装備品ごとの担当課(例えば武器課、艦船課、航空機課など)が直接・間接に当たっておりました。しかし、各企業を育成することを目的とする部局はありませんでした。
21世紀に入って以降、防衛産業基盤の強化を徐々にうたい始め、各種の防衛産業育成策を打ち出してきましたが、結果はうまくいきませんでした。このため防衛省は2015年10月、外国に倣い防衛装備庁を設立しました。同庁は、防衛装備品の開発・取得・輸出などを一元的に担う機関で、結果的には防衛産業の育成に大きく関与する部署です。
これにより、防衛産業の基盤を強化する環境が以前よりは整いつつあるものの、諸外国と比較すれば、まだまだ課題が多いと思います。
また、予算が限られていることから、装備庁設立の効果がまだ明確には出ていない状況です。防衛省は、2021年度の研究開発費を前年比50%増にする予算要求を財務省に提出しています。年末の政府の予算案でどれだけ認められるか分かりませんが、これまで以上のステップアップになることを祈っているところです。
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