土は地球上で生物の多様性が最も高い場所

 欧州から持ち込まれたインフルエンザによって米大陸の先住の人々が壊滅的な被害を受けたように、免疫のないウイルス、病原菌の拡散がパンデミックを招き得ることを人類は新型コロナウイルスで経験しました。新型コロナウイルスを環境破壊による人獣の接近を原因とし、ウイルスを「自然からの警告」として捉える説があります。凍土の融解による感染源の拡散説も同じ文脈で広まっています。いずれも確かな証拠があるわけではありませんが、妙に説得力があります。ただし、実際のところ、凍土に限らず環境中の微生物の実態はよく分かっていません。微生物の半分以上、ウイルスの大半は分類、機能ともに不明です。

 土は、地球上で生物の多様性が最も高い場所です。コーヒースプーン2杯(10グラム)の土には、1万種類、100億個もの細菌が存在し、10個に1個はウイルスに感染しています(図5)。私たちの腸内細菌のウイルス感染率は土の10倍です。エイズウイルスやノロウイルスのような有害なものはごく一部で、土や腸内の細菌の生死を司(つかさど)り、新陳代謝を促進することで物質循環(腸内なら消化)を助けてくれる働きもあります。土も腸内も微生物、ウイルスとの共生体なのです。微生物どうしが相互に依存しあう高度な社会で生きているため、微生物の99パーセントは土を離れると死んでしまい、納豆菌のように単独で取り出して培養して機能を調べるというわけにもいきません。特に単独では増殖できないウイルスは研究対象として扱いにくく、感染症を引き起こすまで未解明というのが実態です。

図5:土の微生物。コーヒースプーン2杯(10グラム)の土には100億個もの細菌が存在する(*7)
図5:土の微生物。コーヒースプーン2杯(10グラム)の土には100億個もの細菌が存在する(*7)

 頼りない科学に対して悲観的になりがちですが、土にあるのはリスクだけではありません。土の中のすみかやエサには限りがあるため、静かな土の中では絶え間なく縄張り争いが繰り広げられています。放線菌と呼ばれる細菌の一種(ストレプトマイセス属)は、自分の縄張り(コロニー)に侵入してくる他の細菌を殺すために防御物質でバリケードを作ります(図6)。その物質はストレプトマイシンとして、結核の克服に役立ちました。静岡県にあるゴルフ場周辺の土壌で発見された細菌の分泌液からはイベルメクチン(寄生虫治療薬)、アオカビの分泌液からは細菌性の感染症に効く抗生物質ペニシリンが発見されています。永久凍土の未知の微生物から新薬誕生の可能性もあります。

図6:ストレプトマイセス属のコロニー。白い物質が抗生物質にあたる。John Innes Centre (Norwich, UK)提供
図6:ストレプトマイセス属のコロニー。白い物質が抗生物質にあたる。John Innes Centre (Norwich, UK)提供

 感染症は宿主あるいは媒介者、そしてヒト・ヒト感染を必要とするので、遠隔地の永久凍土が融解することでただちに感染症が蔓延(まんえん)するわけではありません。未知のウイルスや病原菌のリスクは永久凍土に限らず、熱帯雨林や野生動物の内部にも存在しますし、遺伝子の突然変異次第では私たちの身の回りのウイルス、微生物にもリスクがないとは言えません。永久凍土だけが分かっていない、永久凍土だけが危険だというよりも、永久凍土も含めて環境中には未知の病原菌、ウイルスが多く存在する可能性がある、という認識が正確だと思います。