永久凍土と人類

 永久凍土の存在は人類の生存において障害となるだろうか、それとも何らかの恵みとなるのだろうか。日本で暮らしている多くの読者にとっては、永久凍土は人間の文化を拒絶するような雪氷現象というのが一般的な見方であろう。たしかに、大地の中で数年にわたって融けきることのない氷が存在していたとして、それが人の生活にどのように役に立つのかと疑問に思ってしまうかもしれない。氷河のように美しい景観ではないため、観光利用することもできない。

 ただ、これまでの連載記事で明示されてきたように、永久凍土は夏に地表に近い部分が融解し、冬になると凍結を繰り返す現象であることを思い出してほしい。それは地中が水分を保持しているということでもある。雨乞いという言葉があるように、伝統的な農業は、空からの雨による水分の確保が重要だった。これに対し、永久凍土は、雨が仮に降らなくても、過去に蓄えられた水分を地中から得られる大地なのである。言い換えれば、降水が即時的水分供給であるとすると、永久凍土は遅延的水分供給が物質循環とともに生態系をつくっているともいえる。そのような自然の中で人類はどのように暮らしてきたのか、そして近年の気候変動は永久凍土に暮らしてきた人々に何をもたらしているのか、について考えてみたい。

凍土がつくる生態系

 永久凍土が発達しているのはユーラシア大陸及びアメリカ大陸の高緯度地帯である。しかし、北米大陸とユーラシア西部において永久凍土は北極海沿岸部周辺と限られている。これに対して、東シベリアの永久凍土は緯度的には幅広く広がっており、南限はバイカル湖周辺にまで及んでいる(図1)。永久凍土の地理的な拡張の理由は、過去の気候と環境条件の結果にあるのだが、それは極めて興味深い。最終氷期に北西ヨーロッパと西シベリアには巨大な氷床が発達し、地表を氷が覆った。しかし東シベリアまでは氷床が及ばなかった。それゆえに、地表面を通して寒気は地中深くまで到達し、幅広く永久凍土が形成された。北極圏の南側でこれだけの永久凍土が見られるのは東シベリアだけである。

北半球における永久凍土の分布図(作成:飯島 慈裕・三重大学)
北半球における永久凍土の分布図(作成:飯島 慈裕・三重大学)
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 永久凍土の遅延的な水分供給効果は、生態系形成にも寄与している。東シベリアにある都市ヤクーツクの年間降水量は200ミリ程度とモンゴルのウランバートルと同じである。にもかかわらず、東シベリアは草原ではなくタイガで覆われている。夏に一時的に融解する凍土の水が森林形成に寄与するのだ。さらに、ヤクーツク付近ではアラスとよばれるサーモカルスト地形が発達している(図2)。これは森林の中にパッチ上に広がる湖と草原の生態系である。何らの理由で凍土の水がゆっくりと融けて蒸発し、地面が陥没した結果、直径数百メートルから数キロの草原が出現するのである。このようなアラスは氷河期と比べて暖かくなった完新世に入った約6000年前に形成され、レナ川中流域の広い範囲に1万6000個ほど存在するという。

東シベリアにおける森林とアラス(撮影:檜山 哲哉・名古屋大学)
東シベリアにおける森林とアラス(撮影:檜山 哲哉・名古屋大学)

寒冷環境の人類史

 このような自然を人類はどのように利用してきたのだろうか。アフリカで誕生したホモ・サピエンスの地球上への拡散は5万~10万年ほど前から始まるといわれている。ヨーロッパや中央アジアなどへは4万~5万年ほど前に進出したことが分かっているが、シベリアなど北緯50度以北の寒冷な場所に暮らし始めたのは、1.5万~3万年、さらにベーリング海峡を越えたのは1.4万年前である。

 人類社会で農耕が行われるようになったのは約1万年前だから、こうした寒冷地で暮らし始めた人類は狩猟採集で生存を維持していたことになる。寒冷地に進出した頃にはマンモスが生息しており、この狩猟に依存した生活だったが、マンモスが絶滅した後には、中小型の動物(さらに後には魚類)に依存するようになった。

 完新世以降の極北環境における人類の生業は大きく3つに分けることができる。1つは内陸部の狩猟・漁労である。野生トナカイの狩猟や河川や湖沼での漁業である。もう1つは沿岸部での海獣狩猟・漁業である。沿岸や河川で暮らす場合、定住的な生活を行い、内陸部で陸獣を狙うときには移動する生活だった。この2つの生業パターンは、ユーラシア大陸・北米大陸双方の先住民社会で共通している。ユーラシアだけに見られるのは、紀元5世紀頃に成立したといわれる家畜トナカイを用いた遊牧的な生活様式である(図3)。この場合、役畜としてトナカイを用いて移動能力を高めて狩猟・漁労能率を上げた場合と、19世紀に形成されるが肉畜としてトナカイを生産する場合とがあった。

トナカイ牧夫の祝祭でそりレースに集まった人々(撮影:高倉 浩樹)
トナカイ牧夫の祝祭でそりレースに集まった人々(撮影:高倉 浩樹)

 民族の数え方は様々な説があるが、北米とユーラシアで100近くになる先住民族はいずれも上記の形で永久凍土が含まれる極北環境に暮らしてきた。重要なことは、この生業は、陸域・海域の動物に依存する生業であって、先に述べた永久凍土が作り出したアラスとよばれる森林の中の草地生態系に適応するような生活様式は生み出さなかったことである。人類の環境適応は、直接食料となる資源の分布に応じて編み出されたということになる。

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