日本人の大半が不安を抱きやすい種類の遺伝子を持っていることは、前回紹介した通りだ。だが最新の研究では、楽観的にもなりやすいことが分かってきた。高度成長期の日本人は確かに将来を楽観していた。岸田政権が明るい未来像を国民に納得させる形で提示できれば、沈滞していた日本経済は再生に向けて一気に動き出す。
俳優の小林桂樹さんは、よほどうれしかったに違いない。妻の洋子さんは女性誌「女性自身」の1959年9月4日号で次のように語っている。
「この一月に五八年のダットサンを月賦で買ったんです。それでパパ(小林桂樹)は、暇ができると子供を乗せてドライブ。この間、郷里(群馬県)の榛名山のテッペンまで上ったのがご自慢です。箱根なんか軽いそうです」
「パパは車がお好き」の見出しがついた同号の記事では、芸能人の妻たちがご自慢の自家用車の写真とともに車生活を披露している。
俳優の永井智雄さんの妻・せし子さんは、「七月の初めに買ったのでまだホヤホヤ五八年のオースチンですがやっぱり自分のクルマには、愛着がわきますわね」、同じく俳優の藤村有弘さんの妻・義子さんは「車のようにあきたからって、私もとりかえるなんて言われちゃ大変だわ」などと語る。高度成長期は、消費が幸せを運んできた時代だった。

戦後、朝鮮戦争特需などを経て所得水準は高まっていき、高度成長期の初年度とされる55年度には1人当たりの実質国民所得が太平洋戦争前(39年度)のレベルに戻った。国民所得などの各種経済指標が戦前の水準を上回り始めたことを受けて、政府が56年度の経済白書に記した「もはや『戦後』ではない」の一文は流行語となった。
その頃から「三種の神器」と呼ばれる白黒テレビや洗濯機、冷蔵庫が一般の家庭に広まっていった。所得はさらに増えていき、60年代半ばからは「3C」と総称される自家用車(カー)、カラーテレビ、クーラーの本格的な普及が始まった。当時の日本人は自分たちが年々豊かになっていくことを実感した。
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