上司の間違いを指摘しないでいることが死に直結しかねない民間パイロットや海上自衛隊・特殊部隊の世界では、立場にかかわらず率直に意見交換できる組織づくり、対話術が発達した。同じような努力を重ねていれば、前回紹介した東芝や関西電力のみならず、今回取り上げる日産自動車や三菱電機のトップが、裸の王様に陥らずに済んだかもしれない。それは世界で一番と言っていいほど社内の序列を気にする日本人の価値観への挑戦でもある。

 青空とビーチが美しいスペイン領カナリア諸島は、アフリカのモロッコ沖に位置する常夏の観光地だ。7つある島のうち、テネリフェ島の空港滑走路では、KLMオランダ航空のジャンボ機が欧州からの観光客を大勢乗せ、管制塔から離陸許可を待っていた。

 操縦かんを握っていたファン・ザンテン機長の指示で、副操縦士は管制塔から管制承認を受けた。だがこれは目的地までの飛行経路に関して承認を得たにすぎない。それでも、長時間待たされイラついていたザンテン機長は構わずに、「行くぞ……スロットル確認」と副操縦士に告げて、滑走を始めてしまった。

 この時、濃い霧に覆われて視界が利かない滑走路の上を、米パンナム航空のジャンボ機が移動中だった可能性があった。だが副操縦士は黙ったまま。

 2人の後方に座っていた機関士が、「まだパンナム機は(滑走路を)出ていないのでは?」と指摘しても、ザンテン機長は「そうそう」と言い放って加速を続けた。これがボイスレコーダーに残るほぼ最期の言葉になった。

 14秒後、KLM機は高速でパンナム機に突っ込み、両機合わせて583人が死亡した。1977年3月27日は、史上最悪の航空機事故が発生した日として今も航空関係者に記憶されている。

 ザンテン機長はKLMで腕が立つ操縦士として知られ、訓練の責任者も務めていた。社内での権威と地位は高く、コックピット内で副操縦士が異議を口にするのをためらってしまうような雰囲気を醸し出していたと考えられている。機関士からの指摘に耳を傾けることもなく、ザンテン機長は裸の王様になっていた。

 「社内で神格化が進んでいた」「反論できなかった」「『できない』と言えなかった」……。

 これは日産自動車のカルロス・ゴーン元会長について、同社のガバナンス改善特別委員会が社内から集めた証言である。役員報酬を巡るゴーン氏の不正疑惑を受けて、委員会はガバナンス(企業統治)上の問題点を洗い出すべく調査を進め、2019年3月に報告書をまとめた。

母国レバノンに逃亡中の日産自動車のカルロス・ゴーン元会長はドキュメンタリー制作や自伝の執筆・宣伝で忙しくしている(写真:AFP/アフロ)
母国レバノンに逃亡中の日産自動車のカルロス・ゴーン元会長はドキュメンタリー制作や自伝の執筆・宣伝で忙しくしている(写真:AFP/アフロ)

 それによるとゴーン氏は自身に異議を唱えた部下を左遷や退職に追い込んだり、「物言う監査役」を再任しなかったりした。誰も自分に逆らえない独裁体制を整え、独断で経営戦略や業績目標を決めていた。

 ゴーン氏の判断が正しいうちは日産の業績は好調だったものの、在任中の後半は失策も目立った。シェアを追うあまり、主戦場の米国市場では販売奨励金を積み増して安売りに走った。その結果、ブランドが毀損し、今も日産の経営を苦しめている。裸の王様が率いた組織の末路である。

 裸の王様は危険だ──。

 テネリフェ島での事故後、そう認識を深めた航空業界は、コックピット内のチームワークを高めるための研究を加速させた。

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