伊藤聡子・公益財団法人日本国際交流センター執行理事
伊藤聡子・公益財団法人日本国際交流センター執行理事
慶応義塾大学卒、ロンドン大学東洋アフリカ学院(SOAS)修士課程修了。1988年に日本国際交流センター(JCIE)に入所し、2002年よりチーフ・プログラムオフィサー、12年4月より現職。世界エイズ・結核・マラリア対策基金(グローバルファンド)の活動を支援する日本の民間イニシアチブ「グローバルファンド日本委員会」など、グローバルヘルス分野の諸事業を統括する。21年7月から22年5月、内閣府グローバルヘルス戦略有識者タスクフォース構成員。

 新型コロナウイルス感染症(COVID-19)のパンデミック(世界的大流行)を終わらせるための国際協力として、日本は特にワクチンの分野で政治的にも資金的にも大きな役割を果たしています。国産ワクチンの開発では後れを取ったといわれていますが、途上国支援では世界に先駆けて資金を出し、ワクチン現物を寄付するなどの形でも貢献しているのです。

 もともと日本は、感染症分野の国際協力では秀でた実績があります。エイズ、結核、マラリアという、いわゆる世界の三大感染症対策を支援するために、20年前の2002年に世界エイズ・結核・マラリア対策基金が設立されました。「グローバルファンド」という名称で知られるこの官民連携基金の設立を主導した国の一つが日本です。

 現在のCOVID-19と同じで、エイズのパンデミックへの対応が国際社会の喫緊の課題だった00年、主要8カ国(G8)九州・沖縄サミットで日本が議長国として感染症対策を課題に取り上げ、新たな資金調達の必要性が合意されたことが、後のグローバルファンド設立へとつながりました。

 基金をつくる構想は、当時の国際連合事務総長のコフィ・アナン氏が温めていたものでした。エイズは1981年に米国で初めて確認されて以来、世界中に広がり、年間150万人以上が亡くなっていました。90年代半ばに治療薬が開発され、先進国では死の病ではなくなりつつありました。しかし、高価な薬を購入できない低・中所得国で急速に拡大し、働き盛りの人々の命を奪い、社会構造そのものに影響を与えました。

 国連の要請や、途上国の声、世界中の研究者や非政府組織(NGO)の声に応えたのが沖縄のサミットだったのです。私たち日本人はこのことをもっと誇りに思ってよいと思います。

この記事は会員登録で続きをご覧いただけます

残り2453文字 / 全文3199文字

日経ビジネス電子版有料会員なら

人気コラム、特集…すべての記事が読み放題

ウェビナー日経ビジネスLIVEにも参加し放題

バックナンバー11年分が読み放題

この記事はシリーズ「ニッポンの活路」に収容されています。WATCHすると、トップページやマイページで新たな記事の配信が確認できるほか、スマートフォン向けアプリでも記事更新の通知を受け取ることができます。