国見昭仁(くにみ・あきひと)
国見昭仁(くにみ・あきひと)
1972年、高知県生まれ。クリエイティブ・ディレクター、経営戦略家。 96年、第一勧業銀行(現・みずほ銀行)に入行。アサツーディ・ケイ(現・ADKホールディングス)を経て、2004年に電通に入社。10年、社内で経営/事業変革のクリエイティブユニット「未来創造グループ」を立ち上げる。同グループは17年に「電通ビジネスデザインスクエア」に拡張。18年、エグゼクティブ・プロフェッショナル(役員待遇)に就任。20年、電通を退社し、6人の仲間とともに「2100」を創業。主なクライアントにスノーピーク、パナソニックエナジー、ダイセルほか。

国見さんは2020年10月、新型コロナウイルスの影響で経済が停滞する最中に、電通から独立して、「2100」を立ち上げました。その時期の起業は、逆張りとも思えますが、勝算はどこにあったのでしょうか。

国見昭仁氏(以下、国見):勝算というか、そういう計算はあまりなかったですね。僕は自分の中に「失敗」という概念を持っていないんです。すべて「今」という時間が連続していくだけで、行動を起こし、適応し、さらに行動を起こし、適応し、の繰り返しだと思っています。

そもそも「2100」は、何を意味し、何をする会社なのでしょうか。

国見:企業の存在意義を再定義し、存在価値を拡張していく「クリエイティブ・ブティック(会社)」です。クリエイティブ・ディレクター、アート・ディレクター、コピーライター、プロデューサー、プランナーと、広告畑出身のメンバーとともに創業しましたが、従来の広告制作ではなく、企業の存在意義を再定義して、未来の経営や事業のデザインを行う。そこに、新規性があると考えています。「2100」は2100年のことで、僕たちの次の、そのまた次の世代に、世界を引き継いでいくという意味を込めました。

広告のクリエイターが、企業の存在意義を問う。言葉を換えると、20世紀型のテレビCMや制作物を中心とした広告ビジネスモデルが、もはや通用しなくなっている、ということでもありますね。 

国見:テレビCMがまるで通用しないということではありませんが、少なくともこうした課題はすでに2000年代から、メディアを含めた広告界の課題で、ということはつまり、クライアントとなる企業の課題でもありました。

 インターネットが世の中に行き渡り、個人がSNSでいくらでも発信する時代に、メディアを使って商品を宣伝する手法に頼ると消耗戦に巻き込まれるリスクが高い。モノも情報もあふれかえる中で、伝えるべきは新商品ではなくなっている。では、何を伝えるべきかというと、「世の中はこうあるべきだ」「私たちはこう変えていく」という大きな哲学。そういう“妄想”のアンテナを持っているか、いないかが、会社や企業組織にとって死活的に重要になっています。

四半期決算にうろたえない“妄想”が必要だ

“妄想”とは、どういうことでしょうか。

国見:四半期の数字に振り回されない、大局観と楽観的な想像力のことです。それは、今の現実の中では妄想に近い(笑)。

国見さんは2010年に電通内で「未来創造グループ」を立ち上げています。当時から、その視点がベースになっていたのでしょうか。

国見:僕は最初の就職が銀行で、そこで4年間、法人融資を担当していました。財務・金融の側面から、いろいろな会社とお付き合いして、その後に広告会社に転じた経緯から、電通入社後も、本物の広告を作るためには、経営と向き合う必要性があることを痛感していました。

 電通に入って6年後に、社内起業のような形で「未来創造グループ」という経営者と向き合うチームをつくったのですが、当初、僕のやりたいことは、周りからあまり理解を得られませんでした。広告の人間が、広告を制作するのではなく、経営に向き合うのだ、といっても、それはすぐには分かってもらえませんよね。

 一人で企画書を作って、社内のいろんな人たちに説明して回っていましたが、僕を動かしていたのは、企業の未来像に対する疑問でした。

どんな疑問ですか。