機械工学などのテクノロジーを用い、人間の運動機能や感覚を高める「人間拡張」の技術。失った身体部位や機能を補うだけでなく、「ヒト」としての能力を高める原動力になり始めた。連載1回目に登場するのは夏冬5大会のパラリンピックに出場し、東京大会では男子走り幅跳び競技で自身の日本記録を更新した山本篤選手。パラスポーツの第一人者に人間拡張の今、そして今後の挑戦を聞く。

山本選手が陸上競技に出合ったきっかけを教えてください。

山本篤選手(以下、山本氏):17歳のときにバイクの事故で骨折し、左足を切断しました。足がなくなった日は、1日だけ何が何だかよく分からずに泣きました。でも次の日にはケロッとしていて、「あんまり落ち込んでいないけど大丈夫?」と心配されたくらいでした。なくなったものは仕方ない。いくら考えたって、足は戻らないし、状況は変わらないですからね。

 何をしたいか考えたところやっぱりスポーツだな、と。当時、一番好きだったのはスノーボード。もう一度スノーボードをやりたいと思ってリハビリを続けたところ、(義足を付けて)スノボができるようになり、陸上競技へとつながりました。

<span class="fontBold">山本篤(やまもと・あつし)</span><br />中学、高校時代はバレー部に所属。17歳のときにバイク事故により左足の大腿部を切断。義肢装具士を養成する専門学校で陸上競技用義足に出合う。2004年に大阪体育大学体育学部に入学し、陸上部に所属。その後、08年スズキに入社。パラリンピック・リオデジャネイロ大会では走り幅跳びで銀メダル、4×100mリレーで銅メダルを獲得。17年10月にはプロ選手へ転向した。21年開催のパラリンピック・東京大会では自身の日本記録を更新した。静岡県出身。(写真:ZUMA Press/アフロ)
山本篤(やまもと・あつし)
中学、高校時代はバレー部に所属。17歳のときにバイク事故により左足の大腿部を切断。義肢装具士を養成する専門学校で陸上競技用義足に出合う。2004年に大阪体育大学体育学部に入学し、陸上部に所属。その後、08年スズキに入社。パラリンピック・リオデジャネイロ大会では走り幅跳びで銀メダル、4×100mリレーで銅メダルを獲得。17年10月にはプロ選手へ転向した。21年開催のパラリンピック・東京大会では自身の日本記録を更新した。静岡県出身。(写真:ZUMA Press/アフロ)

 陸上競技に出合ったのは、(高校卒業後に進んだ)義肢装具士の専門学校1年生のころです。歩行用の義足は「かかと」の部分が付いているため、どうしても重くなります。試しに陸上競技用義足を履いたところ「爪先でピョンピョン跳ねる」感覚でした。日常の義足では得られない感覚で、すごく楽しい。この義足を履いたら相当速く走れるんじゃないか。そんな可能性をすごく感じました。

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