安易な診断は、子どもを傷つける
確かに、子どもの発達障害も注目を集めていますね。学校で合理的配慮(*)が義務づけられるなど、発達障害の子どもがいることを前提とした制度もできてきました。
中邑:「早期発見」「早期治療」「早期療育(*)」などともいいますよね。こうした主張は、「発達障害が悪い」という前提に立っています。
「治すべきもの」という考え方ですね。
中邑:治らないんですよ。ある程度、今の社会に適応しやすくはなるかもしれませんが。
医師の岩波明先生も、そうおっしゃっていました(「発達障害は病気ではなく『脳の個性』 治すべきものではない」)。
中邑:発達障害の子どもを「治そう」とか、「変えよう」とすると、親にも負担がかかりますし、何より子ども自身がそれによって自信を失うことが心配です。過度に介入すべきではありません。
発達障害の概念は、大人にとっては救済になりえるけれど、子どもへの適用は慎重であるべき、ということでしょうか。
確かに、大人の発達障害を多く診てきた岩波先生によると、「ADHDと診断されてがっかりする人はほとんどいない」そうです(「発達障害で最多のADHD、診断されて『ほっとする』のはなぜ?」)。当事者に目を向けても、40歳で発達障害の診断を受けた横道誠さんは、診断によって「伏線回収」ができたことを前向きに捉えていて、大人にとっては、長年抱えていた生きづらさを解消するきっかけになるという印象を受けます(「発達障害を持って生きるのは、エヴァンゲリオンの操縦と似ている」)。
その一方で、小児科医の高橋孝雄先生は、子どもに対する早期診断は逆効果になる可能性を指摘されていました。(「発達障害と気づかない方が幸せ? 『早期診断』は逆効果にも」)
そう考えると、中邑先生のご指摘は、今までの取材とも整合するように感じます。
中邑:早期診断の弊害を訴える小児科医がいるのは、心強いことです。しかし、そういう医師がいる一方で、安易に診断して、安易に薬を出してしまう医師もいます。発達障害と診断されてから、薬を飲まないと教室に入れてもらえない、といった話も聞きます。学校の先生ですら、発達障害の子は「正常でない」から、「正常になってもらって、はじめてコミュニケーションできる」と考えている。もちろん、そんな先生ばかりではありませんが。
ただ、学校の先生の立場に立ってみれば、ユニークな子どもたちをほかの子どもたちと一緒に指導していくのは難しい、というのもわかります。
実は、中邑先生のご活動を見ていて、ぜひお聞きしたかったことがあるんです。中邑先生は、発達障害だけでなく、知的障害やひきこもり、不登校など、さまざまなユニークな子どもたちを集めて、多様なプログラムを実施しています。泊まりがけのものも多いですよね。大変じゃないのかな、と。すごく手がかかると思うんです。そんなことを、なぜずっと続けてらっしゃるのでしょうか。
中邑:いや、手なんてかかりませんよ。
かからないんですか?
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