岩波氏:ASD(自閉スペクトラム症)には大きな特徴が2つあります。「空気が読めない」「場の雰囲気にそぐわない言動をしてしまう」などの対人関係やコミュニケーションの障害が第1の特徴です。親しい友人がいない、集団の仲間入りができないといった方もよく見られます。相手の表情や言葉のニュアンスをつかむのが苦手なので、孤立してしまい、学校や職場での活動が難しくなってしまうのです。
「空気を読むこと」が求められる日本においては、苦労が多そうですね。
岩波氏:そうですね。ただ、この側面がクローズアップされ過ぎたために「コミュニケーションが苦手な人=ASD」と決めつける傾向が生まれてしまいました。しかし、この1つの特徴だけで、ASDだと判断することはできないのですよ。
2つ目の特徴がないと、ASDとは診断できません。
2つ目の特徴とは、何でしょう?
岩波氏:それは「こだわりの強さ」です。例えば小さい子であれば、電車を1時間でも2時間でも見続ける、おかずを全部食べてからでないと絶対に白飯に手を着けない、野菜は絶対に食べないなど、物事や自分の行動パターンについて極端なこだわりを持っていることが、診断の基準になります。
「タイムカードを押し忘れる人」には2パターンある
なるほど。ASDと診断するには、「コミュニケーション障害」に加えて「こだわりの強さ」という2つの条件が必要ということですね。
ADHDとASDは同じ発達障害というカテゴリーの中にあっても、症状は随分、違うようですね。見分けはつきやすそうです。
岩波氏:それが、そうでもないのです。このように「言葉で説明する」とかなり違うのですが、「表面上の言動を見る」と似てきてしまうのです。
例えば、タイムカードの打刻をよく忘れる人がいるとします。ADHDの人であれば「うっかり忘れる」ために「打刻を忘れる」のに対して、ASDの人は「打刻する意味が分からないから、やらない」という理由で「打刻をしない」のです。ASDの人には頑固なところがあり、自分の興味がないことはやらないという側面があるからです。
そうなると、原因がADHDであれASDであれ、表面上は「またあの人、タイムカード押すのを忘れている」となるわけですか。
岩波氏:そうなんです。それがなかなか難しいところなのです。
あと、ADHDの人が、時間の経過とともにASDの人に似てきてしまうという面もあります。ADHDの人はもともと、どちらかというと外交的で友達も多いタイプです。しかし、思春期以降、どこかでメンタルダウンすることが起こりやすい。ミスが多かったり、約束を忘れてすっぽかしてしまったりして、怒られたりすることが続いて、落ち込んで自閉的になってしまうことがあるのです。そうなると、表面上は、ASDの人に似てくる。
実際、他の病院でASDと診断された人を、我々が詳しく調べてみるとADHDだということはよくあります。そういう表面上の見え方に引きずられず、その後ろにある本来の特性を見分けるというのは、専門医であってもなかなか難しいものです。
では、どういったところで違いを判断されるのですか? 何かいい方法はあるのでしょうか?
岩波氏:そうですね、子ども時代を思い起こしていただくことが大きなヒントになります。
ADHDの方は、少なくとも小学校時代に孤立していることはありません。活発でクラスの中心でしたとか、友達も多かったとか、そういう人が多いのです。一方ASDの方は、小さい頃から集団の中に入れずに孤立していることが多いですね。
あとは、強いこだわりです。小学校低学年で漢和辞典を暗記していたとか、学校からは必ず同じ道順で帰っていたなど、興味や行動パターンの極端な偏りは、ASDと診断する要素になります。ただ最近は、当初から両方の症状を持っている人がいることも分かってきています。
一般の人が軽々しく判断してはいけないということが、よく分かりました。
最近では、大人になってから「実は発達障害ではないか」と自覚し、診断を受ける方も多いですよね。こうした「大人の発達障害」において、特有のことはありますか?
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