視覚的な情報が多すぎると、伝わらない
松本:ASDの子に何かを教えたり、伝えたりしようとするときに苦労するのは、こちらを注視してくれないことです。誰かいると思ってちらっと見ても、次の瞬間にはふいっと、どこか違うところを見ている。でも、このジャガイモ君の姿だと、僕のことを結構、長い時間、よく見てくれるんですよ。
情報が絞られているから、集中しやすい、ということでしょうか。
松本:視覚的な情報量がごっそり減ることで、必要な情報だけが届くようになるんですね。これが普通の状態の私だと、洋服の襟やら髪の毛やら、情報が多過ぎるんです。耳も鼻も余計な情報です。
「普通の人」を理解するマニュアルがほしい
「ASDの子どもは方言を話さない」からスタートされた研究ですが、これから先、この研究を、どのように役立てていきたいと思われていますか?
松本:真剣に考えれば考えるほど、「分かりません」と言うしかありません。これまでの研究は、少なくともASDの人の言語習得や運用、コミュニケーションのあり方の一端を明らかにすることにつながったと思います。ただ、まだまだ謎がある。もっと深めないと、「役に立つ」というところまでは行き着かないと思います。例えば、かず君のケースも。
アニメのビデオやDVDから言語を習得したかず君ですね(前回参照)。
松本:かず君のことを知って、「じゃあうちの子にも、アニメのDVDをどんどん見せればいいんですね」と言われると、「ちょっと待って」と言いたくなります。その前に、かず君がなぜ、アニメのセリフを人との関わりのなかで使えるようになったのかをちゃんと考えなきゃいけないからです。
ですから、役に立つ効率的な方法を探そうとすると、副作用というか、何か問題が生じるかもしれません。「役に立つ」といったときに、それは親にとってなのか、先生にとってなのか、子どもにとってなのか。この研究が、今すぐ何かの役に立つかと言われると、まだまだ危うい部分もたくさんあるんです
ただ、新たな広がりを感じることはあります。私の本を読んだASDの方が、面白い感想を寄せてくれたんです。「この本を読んだら、定型発達の人たちがこんなふうに考えている、というのが分かった」と。だから僕は最近、発達障害の人向けに「定型発達の人はこういうふうに考えてしまうんですよ」というマニュアル本があったらいいな、と思っているんです。
いわゆる「普通の人」たちって、実は、こう考えているんだと。
松本:今は、発達障害の人たちが、自分の情報を発信するじゃないですか。発達障害の人が書いた本もたくさん出ていますよね。それを読んだ定型発達の人たちは、「発達障害の人って、こう考えているんだ」と思う。
でもそのとき、定型発達の人は「自分たちがどう考えているか」を、どこまで理解しているでしょうか。「ASDの人って、定型発達の私たちと違うよね」、そこまではいい。じゃあ、「定型発達の自分が、ASDの人とどう違うか」を正確に理解していますか、ということです。
多数派からの……、傲慢な見方をしている部分が、きっと自分にもあります。それは本当にそうですね。
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