「否定しよう」と頑張るほど、否定できなくなる
松本:はい。津軽で九州の方言は通じませんから、私は共通語を使います。すると津軽の人も共通語に寄せて話してくれます。つまり、私の前に立つ人はASDであるかどうかにかかわらず、みんな津軽弁を話さない。ですから、私にとって「ASDの人たちは津軽弁そのものをしゃべらない。しゃべり方の問題ではない」という妻の説を否定するのは、簡単ではありませんでした。
まず、地元で試験的な調査をしてみました。すると、多くの人が妻と同じ印象を持っていることが分かりました。つまり「ASDの人たちは津軽弁を話さない」という説が広がっている。これはますますもってまずいぞ、と。そこから本格的に調査を始めて……。奥様を論破しようとされた。
松本:結果的には大敗北を喫したんですが。
つまり、奥様のほうが正しくて、「ASDの子どもは津軽弁を話さない」「方言を話さない」のは俗説ではなく、事実であった。その「敗北」を認めるまで、何年ぐらいかかりましたか?
松本:完全敗北までには数年かかったのですが、途中途中で「ああ、これは負けたかもしれない」「負けたかな」という瞬間があって、劣勢の中で調査を続けました。負けを認めざるを得ないデータが次々出てきてしまったのです。
専門家として、俗説が広まらないようにと始めた調査が、逆にその説を証明する形になってしまった、ということですね。そこに、この研究の強さがあると感じます。先生が奥様の説を必死に「否定しよう」と頑張っているのに、否定できない証拠がどんどん挙がってきてしまって、「ASDの子どもは方言を話さない」という事実が証明された。
負けを認めざるを得ないデータというのは、どのようなものだったのでしょうか?
統計処理が要らないくらいに、きれいなデータ
松本:最初に秋田、青森で本格的な調査をしたのですが、この時のデータが、それまで見たこともないぐらいにきれいに出たんですよ。ASDの人たちは、地域の一般の子どもと比べても、知的障害(ID)の人たちと比べても、明らかに方言を使わないという印象を持たれていることが読み取れる。こちらが、そのグラフです。
松本:方言を「よく話す/使う」「まあ話す/使う」とされる割合が「地域の子ども」では76%、IDの人たちが68%だったのに対して、ASDの人たちは28%にとどまりました。学術的な研究というのは普通、統計処理をして「差があるのがわずかに見える」という世界なんです。でも、このときは統計処理なんか要りませんでした。
このグラフなら、素人の私が見ても違いが分かります。
松本:青森でも、これと同じくらいきれいなデータが出て、すごく驚いたんです。しかし、この時点ではまだ、負けを認めていませんでした。
やはり「アクセントやイントネーションの問題」ではないか、と?
松本:ええ。ASDに特有の話し方のために、方言を話していても「方言に聞こえない」だけではないかと。
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