キーエンスで学んだ「量質転化」

 大阪の下町で生まれた杉浦は、冷蔵装置や什器(じゅうき)の設計会社を営む親戚や父親の姿を見て育った。天神橋筋商店街のほか和歌山県まで出向いて設備を売り歩く父と共に、子供ながら取引先と仲良くなり、信頼を得る方法を考えた。

 関西の私立大学を卒業後、証券会社を経て25歳の時にキーエンスに転職。同社は生産性の高い高収益企業として知られる。そこで学んだのが仕事の量が質に変わるとする「量質転化」という考え方だ。

 例えば、「15分お時間ありますか」と電話して顧客の元に顔を出し、ニーズや取引先の様子をインプットする。現在も1日に10件から15件のアポイントを毎日こなし年間3000社以上の企業と会議をする杉浦の猛烈な仕事ぶりは当時に身に付けたものだ。

 キーエンスには3年間勤務し、三井住友海上火災保険に入社した。証券会社では社長賞を取り、キーエンスでも優れた営業成績を残してきた杉浦はここで壁にぶつかった。証券会社やキーエンスでは1人で営業し、商品を販売してきた。一方、損害保険会社は弁護士や保険を販売する代理店など関わる人数も多い。新たな保険商品を作り販売につなげるには、様々な部署の人を巻き込んでプロジェクトを動かす必要が出てきた。これまで1人で営業を続けてきた杉浦にとっては未知の世界でもあり、実績を出せずにもがく日々だった。

 松下幸之助の著書など、とにかく月50冊の経済・経営の書籍を読みあさることから始めた。そうして行き着いた答えはシンプルなもの。少年の頃に学んだ「商売は信用と感謝から始まる」、そして「結局は自分でやるしかない」ということだった。

 会社と掛け合い、地震保険の通信販売を他社に先駆けて05年に開始し、全国紙でもニュースとなった。損害保険会社の会社員として徐々に結果を出す一方、取引先である中堅・中小企業の経営者たちから、社有車の手配から事業や人材採用の悩みまで様々な相談を受ける機会が増えていった。こうした悩みは1円のもうけにもならないが、企業や専門家を紹介するうちに相談に乗った相手から「杉浦さんがいる会社なら」と保険を注文されることも増え、営業成績にもつながっていった。

 その結果、40代半ばにして、大手企業に勤務しながら部下を持たず営業目標とも無縁の「フリーランス」のような不思議な肩書を得た。そのとき、杉浦の心の中には変化が生まれていた。「大手の新聞に載ったらサラリーマンとしての仕事は一区切り。これからは余生みたいなもん」。中小企業やスタートアップなど世の中のために事業に取り組む人を応援・支援することをなりわいにしたい。「フリーランスサラリーマン」でありながら、それこそが使命だと思うようになっていった。

 だが、杉浦の上司が人事異動により代わったことで、フリーランスのような自由な働き方は理解されなくなった。大手企業にいることは自分にとってリスクなのではないか。50歳を過ぎ体調を崩して入院していた杉浦は、知り合いの経営者に病室から電話をかけた。「独立しようと考えているんやけど、どう思う?」「応援しますよ」。相談した全員が賛成してくれた。

 杉浦は代表世話人株式会社を立ち上げた。人と人のつながりをつくり、新しい事業へとつなげていく。社員は杉浦1人だけ。基本的に紹介のみで人に会うと決めているため、ホームページには問い合わせの電話番号も住所も書いていない。

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