課題を解くと他の学生に採点を依頼

 ホグワーツ魔法魔術学校に通う生徒たちの個人情報(名前、生年月日、性別、選択授業、得意技など)と振り分けられた寮に関するデータが与えられ、それを基に組分け帽子アルゴリズムを作成し、次年度に入学してくる生徒の振り分けを予測する、というものです。

 この課題は、機械学習の分野ではMulticlass Classification(3つ以上の組への振り分け)と呼ばれる分類問題に該当します。複数のロジスティック回帰という統計手法を組み合わせて1つの機械学習モデルをつくることで解けます。

 普段ならPythonを使ってScikit Learn(サイキット・ラーン)などオープンソースの機械学習ライブラリからロジスティック回帰のアルゴリズムを引っ張ってきて、少しパラメーターを調整するだけですぐにモデルを組めます。

 ところが、この課題ではパッケージの使用が一切禁止されていました。Scikit Learnだけでなく、Numpy(ナンパイ)やPandas(パンダス)など、データ解析に必要不可欠なPythonのライブラリも使用禁止でした。

 そのためロジスティック回帰のアルゴリズムをゼロから自分でコーディングする必要がありました。もちろん普段の仕事の中で、こんなに非効率な作業をすることはまずありません。しかし、こうすることで学生はアルゴリズムの数学的な仕組みまできちんと理解していることを要求されるのです。

 課題を解くと、次はコンピューター上で他の学生を見つけて採点を依頼します。採点を頼むには手持ちのポイントを使います。ポイントはあらかじめ一定数与えられているほか、自分が他の学生の解答を採点すると稼ぐことができます。

 他人を採点するのは自分で問題を解くよりもはるかに難しいです。特に自分よりレベルが高い人の解答を採点するときは、穴がないか精査するのが大変です。しかし、このプロセスも自らのスキルアップにつながるのだと思います。

 ためたポイントは景品に換えることができたり、学校のゲートをくぐるときのC-3POの音声を自分の好きな音楽にカスタマイズできたりします。それぞれの学生の学習進捗状況はコンピューター上ですべて管理されており、学生は他の人の進捗状況も見ることができます。

 通常の学校では能力の低い学生が全体のペースを落としてしまうのに対し、エコール42では各自のペースで学習を進められます。そのため、卒業までにかかる時間は人それぞれです(一般的に卒業までに最低3年かかり、何年間在籍してもいいことになっています)。

 20年は新型コロナウイルスの感染拡大期にキャンパスが閉鎖されていたと聞いていますが、21年10月現在はマスク着用を義務付けながらも施設は開いています。カリキュラムはすべてオンラインで自宅からもできるようになっていますが、学校側は「効率的にP2Pを実践するため、できるだけキャンパスに来て作業するように」と通学を奨励しています。

授業料について(この項は2019年時点の情報です)

 授業料は完全無料で、創設者であるXavier Nielの1億ドルを超える個人的な寄付で賄われています。エコール42パリキャンパスでコミュニケーション担当を務めるチャールズ・モブラン氏によると、パリキャンパスの運営費は年間600万ユーロ(約8億円)だそうです(19年時点)。

施設について

 パリキャンパスでは1つの大部屋(クラスターと呼ぶ)に約200~300台のiMacが設置してあり、その大部屋が全部で3つあります。学校に来ると、まずクラスターの中で空いているiMacを探します。誰がどこに座っているか自分のコンピューターから把握でき、なぜか監視カメラにもアクセスできます。

教室入り口には空席がひと目でわかるパネルが設置されている。赤が占有席、青が空席
教室入り口には空席がひと目でわかるパネルが設置されている。赤が占有席、青が空席

 エコール42は21年10月の時点で全世界に35のキャンパスを抱えています。フランスのほか、モロッコ、フィンランド、オランダ、ロシア、ブラジル、米国、日本などにあります。総学生数は約1万2000人。基本的にキャンパスは24時間365日空いており、シャワー、寝場所、寝袋、ゲームなどが備わっています。

卒業後の進路

 先進的な取り組みを実践するエコール42ですが、フランス政府からの正式な学校として認可を受けているわけではありません。そのため卒業しても学位はもらえません。

 しかし、実際は企業からの認知度がとても高く、卒業生の進路は様々です。最も多いのはスタートアップ企業への就職です。私がインターンシップをしていたShippeoという、運送業界向けにデジタル化プラットフォームを提供する会社では、約40人のエンジニアのうち3割近くがエコール42出身でした。最近では銀行やファッション関連企業など、フランスの伝統的な産業や大企業でも42出身者の登用が進んでいます。

 また、プログラミングという、すぐに商品に仕立てやすい武器があるため、起業する学生も多くいます。代表的なのは、18年にSAPが200万ユーロで買収したチャットボット開発企業のRecast.AIです。創業メンバーの1人であるJasmine Anteunisは21歳でエコール42に入学し、2年後に2人のエコール42出身者とともにRecast.AIを立ち上げました。買収前の17年、同社の売上高は300万ユーロ(約4億円)でした。

教育システムのメリット

 エコール42の最大の利点は、なんといってもスケールしやすい教育システムにあるでしょう。カリキュラムはすべてコンピューター上で管理されており、教師や教科書、授業を全く必要としません。

 パリキャンパスのコミュニケーション担当であるモブラン氏によると「定期的に教材を見直しており、最新の技術やトレンドを積極的に反映させている」とのこと。極端に言えば、コンピューターとネットワーク環境さえあればどこにでもこの学校はつくることができます。これはIT人材の不足という全産業が横断的に抱える問題に対し、正面から解決に立ち向かう教育システムといえるでしょう。

 またエコール42の存在は既存の伝統的な教育への挑戦ともいえます。フランスの教育システムはとても古く、階層的です。一般的な大学の上に、エリート育成の職業専門学校であるグランゼコールがあり、その学校名を履歴書に書ける者はフランス社会の中では良くも悪くも尊敬の念を集める存在です。グランゼコール出身者のネットワークは非常に強く、財界・政界はその出身者が牛耳っています。

 しかし、IT人材の慢性的な不足という問題を解決するにあたり、この伝統的な教育システムはことごとく失敗してきました。エコール42は「学歴なし・スキルあり」の人々による社会への挑戦であり、フランス経済に新たな風を吹き込む存在になりつつあります。エコール42にはこうした既存のシステムを見返してやろうという反逆的な考えを持った、やる気のある学生が多いです。

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