筆者は、本書において1980年代の日本の土地バブル、アジア通貨危機、欧米の住宅バブルとリーマン危機など、過去40年ほどの間に起きた主要なバブルのエピソードを取り上げた。日本では土地が主要なバブル資産であり、米国では証券化が住宅バブルを悲劇的なものにしたように、それぞれのバブルの物語は各国に固有の歴史に根差している。

 同時に、共通した普遍的な性質というものもある。いずれの物語も、銀行による信用膨張を引き金としており、バブルが崩壊すると一転して信用は収縮し、経済を危機と停滞に陥れるという共通した性質を持つ。

 バブルは国家や地域を替えながら流転する。過去を振り返ると、日本から東アジア、米国、そして中国へと、その時々の経済の主役の交代とともに、資産バブルの重心は移動してきた。そして、10年以上続いてきた中国の住宅バブルも、大手不動産会社の経営危機をきっかけに終焉(しゅうえん)を迎えようとしている。

 経済大国でありかつ経常収支黒字国である中国は、バブル崩壊による経済的損失は比較的小さいと予想される。一方、信用膨張の激しさは、巨額の不良債権を予想させるに十分であり、その処理と解決に中国経済を消耗させるという見方も成り立つ。

「市場利子率<成長率」の世界

 筆者は著作『バブルの経済理論』を、人々は合理的であっても市場になんらかの不完全性があるときに生じる「合理的バブル理論」を軸に展開した。そして行き着いたのは、マクロ経済理論にとって最も重要な変数である市場利子率と経済成長率が、バブルの経済理論にとっても本質的な役割を果たすという発見である。

 合理的バブルが発生するのは、市場利子率が経済成長率を下回るときである。そして市場利子率は金融市場の不完全性のために資本収益率をも下回る。「資本収益率(=市場利子率)>成長率」の世界を念頭に置いて格差を論じているフランスの経済学者、トマ・ピケティとは対照をなす。この書は、バブルという概念を介して、低金利に直面するマクロ経済を捉え直そうとしているともいえる。

 10年以降、先進各国が危機から回復したにもかかわらず、歴史的ともいえる低金利が持続している。経済成長率が低下したから利子率もまた下落したと思いがちであるが、それだけではない。

 過去30年間、利子率は、成長率の低下以上に下落してきたのである。 21世紀以降、金融発展の停滞、世界的な過剰貯蓄、外部資金に依存しない情報通信産業の台頭、無形資本の拡大による技術と金融のミスマッチなどの構造的な要因が複合的に絡み合って、趨勢的に実質利子率は下落してきた。

 「低金利の経済学」を受け入れると、経済を取り巻く風景はがらりと変わって見える。バブルが崩壊するのは、経済が正常な姿に戻って、利子率が成長率を上回るからではない。低い利子率はそのまま残るのである。金融緩和や財政拡大は景気を好転させるかにみえるが、長い目で見れば、資産バブルの暴落でできた空洞を、現金や国債というバブルで埋め合わせているにすぎない。

 巨大な土地バブルが崩壊した後、無制限ともいえる金融緩和にもかかわらずデフレが継続してきたことや、雪だるま式に膨れ上がる国債が低利回りで市場に吸収されてきたことは偶然ではないのである。すべてはつながっているのである。このまま安易に財政拡大を繰り返して政府部門が肥大化すると、政府債務というバブルが巨大化し、経済に占める贈与は拡大して市場経済は縮小する。贈与という空洞を抱えた経済は長期停滞に陥らざるを得ない。

低金利とは「麻薬」である

 低金利とは麻薬である。発行コストの低さをいいことに国債を増発する誘因に駆られる。インフレにならないので、金融緩和の誘因に駆られる。しかし、問題は解決しない。冷徹に見れば、低金利は、金融機関の劣化と技術進歩の停滞で痛んだ経済の姿を映す鏡である。

 低金利への向き合い方が国家の将来に大きな影響を与えるであろう。物事の本質から目を背け、財政のばらまきで国民にこびようとする日本のような弱腰の国もあれば、回復の兆しが見えるや否や利上げや量的緩和縮小(テーパリング)で低金利経済から決別しようとする米国のような毅然とした国もある。

 全体を通して分かるのは、バブルを論じることと、低金利の経済を論じることは表裏一体の関係にあるということである。バブルというフィルターを通すことで、利子率が成長率より低い経済の不安定さと危うさを鮮やかに切り取ることができる。筆者の理論は、低金利下にあえぐ経済をどう直視し、どう向き合うべきかを考える道具立てを提示している。

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