近年、不眠症などの「病気の状態」を治癒するだけでなく、人々の生活の質を改善する睡眠のあり方を模索すべきだとする「スリープヘルス」という概念が注目されるようになってきた。経済産業研究所のプロジェクトで睡眠改善施策の効果検証に取り組んだ、黒田祥子・早稲田大学教育・総合科学学術院教授大湾秀雄・早稲田大学政治経済学術院教授の寄稿を掲載する。

(写真:PIXTA)
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 現代社会において、睡眠に何らかの問題を抱えている人はかなりの割合に上る。例えば、「国民生活基礎調査」(2019年、厚生労働省)によれば、日本人成人の約3割が「睡眠によって休養がとれていない」と述べており、米国の調査でも44%の人が「睡眠の問題をほぼ毎日感じている」と答えていた(Sleep foundation、2008)。他国でも同様の傾向が認められ、睡眠未充足と呼ばれる状態は世界的な問題となっている。

 睡眠が十分でないことによって生産性が低下するとすれば、経済的に大きな損失となり得る。しかし、多くの睡眠未充足者は、ぐっすりと眠れなくても仕方がないと捉え、慢性的にその状態を受け入れているのではないだろうか。こうした中、近年「スリープヘルス」(Buysee、2014)という概念が注目されるようになってきた。

 スリープヘルスは、不眠症などの「病気の状態」でなければよしとされた睡眠に対する従来の発想を転換し、人々の厚生やパフォーマンスにポジティブな影響を与える睡眠の在り方を模索していくべきとする考えである。

睡眠と仕事の生産性との関係は?

 果たして、睡眠で十分な休息がとれていないことによる生産性の低下はどの程度で、睡眠の量や質が改善すれば生産性は向上するのだろうか。これまでにも、睡眠不足や睡眠障害が、自動車事故や労働災害などの日中のパフォーマンスに深刻な影響を及ぼすことは、多くの睡眠研究が明らかにしてきた。

 しかし、一般労働者を対象に、睡眠が仕事のパフォーマンスに直接どの程度影響するのかを分析したものはあまりない。また多くの研究は、眠ることができたから健康や生産性が改善したのか、あるいは別の要因が睡眠や健康、生産性を悪化させているのか、因果関係を明らかにしていない。

 そこで、筆者らと早稲田大学経済学研究科の川太悠史氏は、大手製造業に勤務する約200人の従業員を対象にランダム化比較試験(randomized controlled trial;以下、RCT)を実施し、睡眠と生産性改善の効果を検証した。

 RCTとは、被験者をランダムに2つのグループに分け、一方のグループ(介入群)には何らかの介入を施し、もう一方のグループ(対照群)には何もしないことで、実際の介入効果を検証する実験方法である(図1)。

図1:RCTの流れ
図1:RCTの流れ
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 ちなみに、最近は従業員への健康投資に積極的な企業も増えてきているが、投資対効果を検証している企業はまだ少ない。投資を無駄にしないためには、RCTの枠組みを利用した効果検証は非常に重要である。研究成果の詳細は経済産業研究所のHPに掲載されており、以下ではその一部を紹介することとしたい。

情報技術で睡眠改善をサポート

 昨今では、「スリープテック」という言葉も使われ、スマートウォッチに代表されるようなセンシングデバイスを用いた健康管理は急速に認知度が上がっている。筆者らの睡眠改善プログラムは、こうした情報技術を利用し睡眠改善のサポートを試みた実験である。

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