取り残された地域や労働者のニーズに対応する政治家の能力に限界があり、緊張が生まれ、それが権威主義国家の民衆の反発という形で現れたのです。

 ですから、私たちはある種の「政治経済のトリレンマ」を経験してきたのだと思います。国家主義、民主主義、グローバリゼーション、この3つのよきバランスをつくり出すことが必要なのだと思います。

 民主的な説明責任や国家主権、経済的・社会的な取り決めを自ら選択し決定する能力など、私たちが大切にする他の価値を損なわずして、世界経済をハイパーグローバリゼーションの方向へ極端に推し進めることなどできないのです。

私たちは2つだけでなく、3つのバランスを取ることができるかもしれないということですか?

ロドリック氏:そうです。ハイパーグローバリゼーションを推し進め過ぎない限り、3つを同時に満たすことは可能です。

 例えば(金・ドル本位制のもと為替相場を安定させる)ブレトン・ウッズ時代の教訓は、第2次世界大戦後の30年間、我々は民主主義を深化させ、比較的平等で包摂性のある社会をつくり出し、経済成長を達成することが同時にできたということだと思います。しかし、世界経済とグローバリゼーションがその目的に従属する環境の中だったから、実現できたのです。

 当時は、金融のグローバル化を推し進めることはなく、資本規制がありました。当時の貿易協定(1947年に署名された「関税及び貿易に関する一般協定<GATT>」を指す)は比較的、底の浅い統合でした。これは各国の国内政策に影響するものではなく、農業政策や知的財産政策、産業政策の調整を求めることはありませんでした。

 このように影響を抑制することで、後のハイパーグローバリゼーションより限定されたグローバリゼーションを実現できたのです。その意味では、民主主義と国民主権を優先するシステムだったわけです。

やみくもなグローバル化が裏目に

 当時のグローバリゼーションは、そのような形にとどめ置かれていたのです。一方、80年代以降、特に90年代は、国家主権と民主主義にどのような結果をもたらすのかきちんと直視することをせず、やみくもにハイパーグローバリゼーションを推し進めようとしたのです。その結果、不安定なシステムが出来上がりました。

グローバリゼーションが揺らぐ中、日本は高齢化社会と人口減少が進み、将来について展望が持ちづらい状況にあります。最近になってようやく移民について議論する動きも見られますが、政治的に難しい問題です。日本についてはご専門ではないかもしれませんが、どのようにお考えですか?

ロドリック氏:他の国の人々に対してオープンであること、他の国の人々を受け入れることができることは、国全体の経済的活力やイノベーション(技術革新)にとって重要です。

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