「新自由主義」とは、基本的に中道右派と中道左派の政策立案者双方が、グローバリゼーションは避けられないものとして、その要請に合わせて自国の社会を調整しなければならないと受け止めるようになった時代の考え方でした。すなわちグローバリゼーションが目的で、社会が手段であるかのような考え方です。
しかし近年は、次第にもう1つの概念に回帰しつつあると思います。つまり、いかに国内の包摂性(インクルージョン)を実現するか、いかに国内の強靱(きょうじん)な回復力を実現するか、いかに強固な公衆衛生システムを確立するか、さらにはいかに気候変動に対処するかといったことです。
グローバル化それ自体を目的とするのではなく、グローバル化をこうした目的の道具とすることができるか、ということです。そのことが、ハイパーグローバリゼーションとは異なるタイプのグローバリゼーションを生み出すことにつながると思います。
ハイパーグローバリゼーションは、当時の政策立案者が考えていたのとは違い、調整できないものでも、出来合いのものがそのまま降ってくるものでもない、固有の特徴のあるグローバリゼーションだったからです。
「政治経済のトリレンマ」は今
ロドリック教授は00年、世界には「政治経済のトリレンマ」(注2)があると提示されました。国家主義、民主主義、グローバル化のうち、2つは同時に実現できるが、3つを同時に実現はできないというものです。今、これをどう捉えていますか? 多くの人がこの考え方を定性的あるいは定量的に分析し、国際的にも話題になりました。
ロドリック氏:そうですね、ある意味、我々はこのトリレンマが展開されるのを見てきました。今、私たちが経験しているハイパーグローバリゼーションの「反動」は、政治家がこのトリレンマにきちんと向き合ってこなかった結果でしょう。
というのも、事実上、政治家は、「私たちは主権を持ち、民主主義を持ち、経済のグローバリゼーションを推し進めることができる。衝突など起きない」と何度も言ってきたからです。しかし、緊張は起きていたと思います。そうした緊張は、各国の経済政策がグローバリゼーションに適応するために形作られてきた、これまでの成り行きを反映していると思うのです。
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