また、EC(電子商取引)サイトや検索エンジンといった膨大なユーザーを持つ巨大プラットフォームやインターネット広告の世界は、ユーザーを対象にランダム化実験をして機能改善を図っているが、これこそEBPMの1つの理想形であろう。では、日本政府にこうした漸進的なデータドリブンの意思決定ができるのだろうか。

 20年の初夏、日本政府は12兆円を使って無意識のうちにかつてない大規模な政策実験をした。新型コロナウイルス対策の、国民1人当たり10万円を支給した特別定額給付金である。全国民の10万円の一時的な所得増加は、落ち込んだ消費を回復させるのか、きちんと分析すれば極めて示唆に富むに違いない、貴重な機会であった。

 無意識のうちに、と書いたのはこれがエビデンスをつくる重要な政策実験であることが一切政府内では考慮された形跡がないからだ。しかし、逸失されようとした貴重な機会は家計簿アプリを運営するベンチャー企業と経済学者によって見事に救出されて研究対象となり、重要な洞察をもつ論文として世に残った。

 給付金の給付タイミングが自治体によって異なることに着目した早稲田大学政治経済学術院の久保田荘准教授らのグループは、一時的な所得増加に対する消費者の多様な反応を家計簿アプリのデータによって分析した。この結果は今後も想定される日本政府の現金給付政策に大いに活用されることが期待される。

 だが、民間企業や研究者の自発的な取り組みがなければこうした質の高い研究が生まれることはなかった。行動経済学および実験経済学の大家、米シカゴ大学経済学部のジョン・リスト特別教授がいうところの政策実施による証拠の生成(Policy-based Evidence, PBE)に対する意識が、現在の日本政府にはあまりにも乏しい。

データが、ない!

 ではなぜここで、政策効果の計測に家計簿アプリが出てくるのだろうか。政府が隠し持っている高品質で膨大な個人データを使って分析すればよいのではないか。そう思う読者もいるかもしれない。そこで、霞が関でデータ分析をした経験もある筆者が、悲しい事実をお伝えしよう。

 日本政府には、個人の日常的な経済活動を詳細に分析するに足るデータは、ほとんど存在しない。家計調査は月ごと、世帯単位で、同じ個人を単身者の場合3カ月しか追わず、サンプル量も限られ、精緻な推定結果を得ることは難しい。さらに、データの横のつながりもないため、一定の属性情報はあるものの基本的には消費なら消費だけ、就業なら就業だけといった断片的なデータを頼りに分析をするしかない。

 このデータを使って複雑なモデルを推定して、例えば低所得の人やサービス業の人は給付金をすぐ使うといったような洞察を得ることは不可能だ。世の中のデータサイエンティストと呼ばれる専門家たちが扱っているデータの粒度は、政府統計という名の漠然とした小サンプルの、記憶を頼りにしたサーベイ調査とは大きく異なる。データサイエンティストは、日々サーバーに記録されるユーザー単位、商品単位、時刻単位の人間の記憶容量に収まらない情報を駆使して分析している。

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