
黒船の来航によって始まった明治維新は、単に蒸気機関や製鉄などの西洋技術の導入だけにとどまらず、西洋の個人主義的な倫理観に基づく法体系や社会慣習の導入を伴っていたことを思い起こしたい。江戸時代に平和とそれなりの繁栄をもたらした、儒教的な倫理観に基づく社会秩序を捨てて開かれた社会を形成することが、近代的経済を発展させ殖産興業と富国強兵に必要だったのだ。その中で、哲学にまで遡って新しい社会の在り方が形成されていった。
その意味で明治維新は、新しい文明を受け入れる開化の作業だった。これは、倫理観は絶対普遍ではなく、時の文明の一部と考えたほうがいいことを示している。
このようなことを改めて考えたいのは、いま我々が迎えつつあるデジタル革命が、哲学や倫理観まで見直すことを人類に迫っていると考えるからだ。現在西側諸国を支えている民主主義、市場メカニズム、法体系などは、産業革命以来の工業文明を機能させるために発達してきた。財産権などといった普遍的な人権と考えられているものも、王権による恣意的な介入から市場経済を守るという工業文明の仕組みを保つものとして発達してきた。それが資本主義の成立には必須だったのだ。
ところが今、デジタル技術が世界の成り立ちを大きく変えつつある。それは単なる新しい技術の導入にはとどまらず、人間の哲学や倫理観まで変える大きなうねりとなるだろう。世界にとっては産業革命以来、日本にとっては黒船来航以来の文明の転換点を迎えているのだ。
変化の動因
何が文明の転換を促しているのか、もう少し踏み込んで考えてみよう。デジタル経済には工業経済とは異なる特性がいくつかあり、近代の前提を突き崩している。ここでは3つ指摘しておきたい。第1は、ネットワーク外部性の効果と呼ばれる、供給量が増えれば増えるほど製品やサービスの価値が高まる現象だ。
例えば、スマートフォンが世の中に1台しかなかったら、誰ともメッセージを交換できず無価値だ。2台目が出現すると、つながりが1つ生まれて価値が出てくる。つながり数を価値と考えるならば、3台目の出現によってつながり数が3に増え、4台だと6となる。価値が指数関数的に増大するのだ。ネットワークでつながれた商品が、独占や寡占になりやすいのにはわけがある。
本稿の文脈では、ネットワーク外部性が、市場経済の前提となっている収穫逓減の法則が効かない世界をつくっていることが大きなポイントだ。需給や所得格差の調整において市場メカニズムが働かない構造ができてしまっている。これが今日の格差社会を生み出す一因ともなっており、現状のままでは社会の分断が深まって崩壊しかねない。
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