ここからは、テクノロジーの進化によって、過去、どのように産業が変遷してきたのか、いかにコストゼロ社会の到来が夢物語ではなく現実味を帯びたものであるか、コストゼロ社会に近づく過程で業界にどのような影響を及ぼす可能性があるかについて見ていきます。
エンタメ産業に押し寄せた無料化の波
インターネットの歴史は、仲介する存在を消してきた歴史です。そしてその都度、コストを下げていきました。分かりやすく、かつ、最たる影響を受けたのはエンターテインメントの四大産業といわれる音楽、映像、ゲーム、書籍の領域でしょう。
音楽の領域では、アップルが音楽プレーヤー「iPod」やメディアプレーヤー「iTunes」を世に出したことで、それまでレコード、CD、MDへと変化してきた物理的なメディアから一転して、音楽データをダウンロードして聴く習慣が広がりました。
さらに、音楽ストリーミングサービスを手がけるスウェーデンのスポティファイ・テクノロジーが、一部の機能制限や広告配信を条件に無料で音楽を聴けるプランを提供しているほか、グーグルが提供する動画配信サービス「YouTube(ユーチューブ)」でも広告表示を条件に無料で音楽を聴けます。
では、映像の領域はどうでしょう。かつてはビデオレンタル店に足しげく通っては一作品ごとに料金を支払っていたものですが、現在では手軽にテレビやスマートフォン、タブレットなどの機器で動画を楽しめるようになりました。
加えて、音楽と同様、米ネットフリックスの「Netflix(ネットフリックス)」、アマゾン・ドット・コムの「Prime Video(プライムビデオ)」、HJホールディングスの「Hulu(フールー)」などで映像見放題のサービスが提供されています。
さらに、ヤフーグループのGYAOが提供する映像配信サービス「GYAO!」では無料で映画やアニメが楽しめるほか、サイバーエージェント、テレビ朝日の合弁企業として立ち上がったAbemaTVは、テレビ番組に加えて様々な独自動画コンテンツを無料で楽しめる「ABEMA」を提供しています。
ゲームの領域も同様です。任天堂やソニー・インタラクティブエンタテインメントなどが提供する専用ゲーム機市場は今もなお健在ですが、スマートフォンでプレイする人口が増え、無料で楽しめるコンテンツが大幅に増えました。
書籍の領域は比較的、無料化の波が本格的に訪れていない領域のようにも見えますが、実際には大きな変化が何度も起きています。音楽や映像の世界と同様、単品で購入していた時代から月額制を取り入れるサブスクリプションの波が広がっています。
例えば、200万冊以上が読み放題になるアマゾンの定額制サービス「Kindle Unlimited(キンドル・アンリミテッド)」や、楽天が提供する700誌以上の雑誌が読み放題になる「楽天マガジン」はその代表例でしょう。
そもそも、視点を変えれば情報そのものが無料でウェブページを検索して閲覧できるため、書籍市場を侵食しているともいえます。領域を限っていえば、高価な百科事典市場はグーグルの検索サービスや米ウィキメディア財団の「Wikipedia」に取って代わられました。
産業史で起きた3つの革命
しかし、インターネットだけがコストゼロを推し進めたわけではありません。いつの時代も、テクノロジーの進化はコストを下げ、業界地図を塗り替えてきました。少し過去にさかのぼってみましょう。
18世紀半ばから21世紀初頭にかけて起きた第1次産業革命から第3次産業革命まで、全ての産業革命に共通しているのは、必ず3つの領域で変革が起きていることです。その分野とは、モビリティー、通信コミュニケーション、エネルギーの3つのインフラです。
まず第1次産業革命は、18世紀半ばから19世紀前半にかけて英国で起こりました。人手による作業を、石炭による蒸気機関を動力として機械化し、作業効率を大幅に上昇させることに成功します。モビリティー分野では鉄道が生まれ、輸送効率が格段に向上。通信コミュニケーション分野では印刷技術の普及によって情報の拡散が進みました。
次に第2次産業革命。エネルギー分野では石油が動力源のメインになり、ガソリンによる自動車や飛行機が輸送手段として社会に大きなインパクトを与えます。さらには通信技術の進歩により電話が発明されます。
第3次産業革命においては、注目のエネルギーとして原子力が存在感を増します。通信コミュニケーション分野ではインターネットが発明され、社会を大きく変えていきます。通信機器も携帯電話、そしてスマートフォンへと変遷し、人々の手元でインターネットを通じて様々なサービスを享受できる世界が到来しました。モビリティーに関しては、過渡期としてガソリンと電気を動力源とするハイブリッドカーが広く普及し、完全な電気自動車(EV)も徐々に広がりを見せています。
このように歴史をひもとくと、社会や産業を根幹から揺るがす産業革命においては、毎回3分野で大きな変革が起き、けん引していきます。従って、これから本格期を迎える第4次産業革命においてもこれらの領域では大きな変革が起きると予想されます。
具体的には、エネルギーは化石燃料から再生可能な自然エネルギーに取って代わられていくでしょう。通信コミュニケーション分野も、インターネットへのアクセスがパソコンやスマートフォンなど一部の機器から解放され、あらゆるハードウエアから接続可能になり、同時に多種多様なデータを取得できるようになります。
そしてモビリティー分野ではクルマがネットにつながる(Connected)、自動運転技術搭載(Autonomous)、ライドシェアやカーシェアといったシェアサービス(Shared)、電動化(Electric)、いわゆる「CASE」へと大きく変貌します。
限界費用ゼロ社会の到来
世界的な文明評論家のジェレミー・リフキン氏による著書『限界費用ゼロ社会』(ジェレミー・リフキン著、NHK出版)が2015年、日本で発行されました。これからの未来を考える上で、非常に示唆に富む書籍です。限界費用とは、経済学上の専門用語です。
グロービス経営大学院教授の嶋田毅氏は、「限界費用ゼロとは、どんどん上昇する追加的費用の傾きがゼロに近づくことを意味します。なぜそのようなことが起きるかというと、一番の理由はデジタル社会が進展するからです。例えば、デジタル商材は複製や保管、転送コストが、実体のある『モノ』とは全然異なります。一度作ってしまえば、それを1単位追加的に提供するコストはほぼゼロに近いというのがその意味合いです」と解説しています。
この追加コストがゼロに近いとは、収益構造上、非常に大きな影響をもたらします。追加コストが事業拡大に比例して拡大するのか、ほとんど増えないかによって、収益率は大きく変わってくるからです。
限界費用ゼロとは要するに、この追加コストの傾きが低くなり、収益性が格段に上がる社会の実現を期待させるものです。特にモビリティー、通信コミュニケーション、エネルギーの3分野を中心に追加コストが限りなくゼロに近づく社会が到来すれば、社会や産業界に大きなインパクトを与えます。
もう少し掘り下げて説明してみましょう。
筆者はこの追加コストの傾きの違いを、2つのビジネスモデルの対比でよく説明します。その2つとは、労働集約型ビジネスモデルと収益逓増型ビジネスモデルです。
労働集約型のビジネスモデルは売り上げが増加すると、労働力を追加で投入する必要があり、追加コストもまた比例して伸びてしまいます。従って、売り上げがどんなに大きくなっても、基本的には利益率は一定です。このモデルでは売り上げをとにかく大きくし、総額としての利益額を大きくする必要があるため、売り上げのシェアが重要な指標となります。いわゆる広告代理業、旅行会社、商社、卸売業、自動車のディーラーなどの中間業者の大半はこのモデルです。
一方、収益逓増型のビジネスモデルは売り上げの伸びに対し、追加コストが比例して増加しません。例えば、ゲームやメディアなどがこの型に該当します。ゲームやメディアを立ち上げる際のコストやユーザーを獲得するコストなど、初期の投資は必要になりますが、ユーザー数が1万人でも1000万人でも、比例してかさむ追加コストはほとんどありません。損益分岐点を超えると、その後は大半が収益となります。そのため、収益率が非常に高いという特性があります。
通信キャリアやSaaS(ソフトウエア・アズ・ア・サービス)と呼ばれるクラウドサービス、コピー機や自動販売機などの設置型ビジネスは、この収益逓増型ビジネスに該当します。売り上げの増加と追加コストが比例しないということは、それだけ企業にとって収益性を格段に上げることが可能となり、利益をR&D(研究・開発)に回したり、ユーザーへ還元できたりするのです。
インフラ分野で追加コストがかからない社会になることで、様々な業種業態が大きなメリットを享受します。例えば、クラウドサービスを提供する企業の最大コストはサーバー運営にかかる電気代ですが、仮に再生エネルギーだけで賄えるようになり、この電気代がゼロに近づけば収益性は高まります。
また、数多くのEC(電子商取引)事業者にとってもその影響は計り知れないものです。送料にかかるコストは収益に直結しますが、数年前、日本では大手宅配便会社が相次いで値上げを実施しました。EC事業者の規模が大きければ大きいほどその打撃も大きいものとなりました。この宅配が将来、ドローン配送や自動運転車による配送に切り替われば、配送に関連する人件費は一気にゼロに近づきます。EC市場全体へ相当なインパクトをもたらすことは想像に難くないでしょう。
さらに通信コミュニケーション分野でもブロックチェーン技術を駆使して、資金移動コストが無料化に向かえば銀行の店舗網や人件費などのコストが大幅に削減でき、銀行の収益は大きく改善します。このようにほんの少し想像するだけでも、当該3分野のコストがゼロに近づくことは、企業や社会にとっては大きな影響があるわけです。
(この記事は、書籍『ZERO IMPACT ~あなたのビジネスが消える~』の一部を再構成したものです)
有料会員限定記事を月3本まで閲覧できるなど、
有料会員の一部サービスを利用できます。
※こちらのページで日経ビジネス電子版の「有料会員」と「登録会員(無料)」の違いも紹介しています。
※有料登録手続きをしない限り、無料で一部サービスを利用し続けられます。
この記事はシリーズ「あらがうか、向き合うか」に収容されています。WATCHすると、トップページやマイページで新たな記事の配信が確認できるほか、スマートフォン向けアプリでも記事更新の通知を受け取ることができます。
Powered by リゾーム?