外出中にスマートフォンの電池が切れそうになったことはないだろうか。INFORICH(インフォリッチ、東京・渋谷)は、そんな人のためにコンビニや駅で携帯型バッテリーを貸し出すサービスを提供している。社長は「日華」の名前で活躍していた香港出身の元ラッパー、秋山広宣氏(広東語名、陳日華氏)だ。日中両国にルーツを持つ異色の経営者に話を聞いた。

失礼ながら、元ラッパーという経歴を持つ経営者に初めて会いました。改めて生い立ちを教えていただけませんか。
インフォリッチの秋山広宣社長(以下、秋山氏):私は1980年に香港で、日本人の母と香港出身の父との間に生まれました。父方の陳一族では子どもが生まれると名前に「華」の一字を入れることをならわしとしています。私は、母が日本人だったことから「日」と「華」を組み合わせ、「日華(にっか)」と名付けられました。
「華」には「中国」という意味もあるため、私の名前は「日本と中国」を表していることになります。名は体を表します。幼い時から父に「日本と中国の懸け橋になりなさい」と諭されて育ちました。
香港のストリート文化を吸収
日本には何歳の時に来たのでしょう。
子どもに日本語を身に付けさせたいという父の願いから、10歳の時に両親と妹を含む一家4人で、香港から母の親戚が多く住む福島県いわき市に移り住みました。
日本に移住しても香港の友達と交流は続けていました。毎年、夏休みや冬休みには香港に行って、現地の友達から香港ではやっているスケートボードの乗り方やヒップホップダンスなど、最先端のストリート文化を教えてもらっていました。休暇を終え、いわき市に戻ってからは、今度は私が日本の友達にスケボーやヒップホップダンスを教える番です。この頃から日中の懸け橋としての人生を歩み始めたように思います。

ラッパーとしてデビューするまでの経緯を教えてください。
秋山氏:15歳の頃からラップに興味を持ち、いつしかプロのヒップホップアーティストを志すようになっていました。大学を出てアルバイトをしながら歌っていたのはラップです。すると2005年、メジャーデビューにつながるチャンスが訪れました。
国際的な音楽コンクールに出場し、ヒップホップやレゲエ、R&B(リムズ・アンド・ブルース)をひとまとめにした部門で優勝したのです。これをきっかけに大手レコード会社のユニバーサルミュージックからお声掛けいただき、07年に日華の名前で日本でメジャーデビューを果たしました。
私の楽曲の特徴は、英語のほかに、日本語と中国語を混ぜ合わせていることです。日中の懸け橋としての思いを込めて歌いました。
プロ野球選手の入場曲や、08年に開かれた北京夏季五輪のビーチバレー日本代表チームの入場曲、テレビ番組のエンディングテーマなどに採用していただき、音楽配信サービス「iTunesストア」のヒップホップ部門でランキング1位を取ることができました。
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