「企業向けにはクリエーティブディレクター、入国書類ではデザイナーと名乗る。自分の肩書は1つでは表せない」
やんちゃな笑顔で語るのは、企業のブランディングやデジタル戦略を手がけるI&CO(アイ・アンド・コー、東京・渋谷)の共同創業者、レイ・イナモト氏だ。スイスの高校に留学して以降、海外に身を置き続け、米グーグル、米ナイキ、トヨタ自動車など数多くのグローバル企業のデジタル戦略やブランド戦略に携わってきた。デジタル活用の最前線を歩んできたイナモト氏が感じるクリエーティブ業界の変化と、海の向こうから見てきた日本企業に対する思いを聞いた。

学生時代は美術とコンピューターサイエンスの2つの分野を専攻していたと聞く。当時はどのようなことを考えていたのか。
レイ・イナモトI&CO共同創業者(以下、イナモト氏):もともと原子物理学の研究をしていた父親と、音楽に携わっていた母親の影響を受け、幼い頃から理系の内容と音楽・美術の両方に興味があった。中学生の頃には、アーティストになりたいという願望が生まれた。
その後、アメリカの大学に進学してアートやデザインを専攻していたのだが、在学中の1990年代半ばにインターネットの最初の波がきた。アメリカにいながら日本の友達とリアルタイムでチャットをしたとき、とても衝撃的で感動したのを覚えている。「これはすごく今後の可能性があるな」と直感的に思った。
当時はまだ、コンピューターを使ってデザインするといっても限られたものしかつくれなかった。そうした中でもプログラミングでアートやデザインをしようとする人たちが出てきた。僕もそれに感化され、ダブルメジャー(複数専攻)でコンピューターサイエンスを学び始めた。テクノロジーによって、筆の数が増やせるのではないかと思ったからだ。
振り返ってみれば、アートとテクノロジーを掛け合わせて新しいものを生むというテーマは10代の頃から持ち続けていた。もともとアーティストを志したのも、「人の心を動かしたい」という思いがあったからだ。インターネットを使い始め、世界中の人とつながりができるということが僕にグサッと刺さった。科学や技術を使って人の心を動かすことは、自分の1つの大きなテーマだ。
その後のキャリアで、企業のデジタル戦略やクリエーティブに関わるようになっていく。ファインアートではなく広告やデザインなどビジネスサイドに進んだのはなぜか。
イナモト氏:もともと商業アーティストが好きだったというのもある。就職する前に日本のデザイナーの下で修行させてもらったのだが、単なるレイアウトではなくアイデアを出して勝負する世界があると初めて知り、いずれこういった業界で働いていきたいと思った。
99年からR/GAというデジタルに特化した制作系の会社で働き始めた。ナイキのデジタル戦略を請け負うことになったことは、大きなブレークスルーになった。2000年前後はまだ、世の中的には自社のウェブサイトをつくるかどうかといった議論をしていたような時代だ。ナイキのデジタルに関する考えはかなり進んでいたと言える。そうした中、どういう形でマーケティングしていくか、デジタルを使ってどんな体験をユーザーに提供できるかを考える機会を得た。
デジタルにより新しいユーザー体験を生み出した例が「ナイキプラス」だ。アイデアのはじまりは、ランナーたちが紙とペンでアナログに記録していた1キロメートルごとのタイムを、自動的に記録できないかと考えたこと。当時はもちろんスマホもない時代。シューズに専用チップを埋め込み、データを吸い出すことで可視化させていった。
僕は世の中から広告の人間だという見方もされるが、広告業界に入ったわけではない。デジタルやインターネット、モバイルといったものが徐々に広告業界に広がっていったという意識がある。
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