
過去10回にわたる連載において、ラクスル(印刷事業)、ハコベル(物流事業)、ノバセル(運用型テレビCM事業)、ジョーシス(コーポレートIT関連事業)と4つの事業の成り立ちを紹介してきました。
このように振り返ると、順風満帆に事業を増やし会社を成長させてきたように思われがちですが、経営していく上で、常に困難やリスクと対峙し続ける中で苦しく、つらい経験をすることも多くありました。そこで今回は、経営者としてこれまで経験してきたハードシングスについてお話ししたいと思います。
2009年に起業して以来13年以上にわたって会社を経営してきましたが、「どんなハードシングスがあったのか」と振り返ると、2つの大きな困難に直面した経験が思い浮かびます。1つは14年、ラクスルがシリーズBの資金調達を行っていたときのことです。
ラクスルは11年にシリーズAで2.3億円を調達して印刷EC事業を立ち上げました。PMF(プロダクト・マーケット・フィット、市場に受け入れられるかどうか)を経て売り上げを伸ばし、マーケティング投資でさらに急成長しました。1億円だった売り上げは翌年に7億円、その翌年に24億円になり、14年にはシリーズBで15.5億円の資金調達にも成功しました。スタートアップとして飛躍的に成長を遂げる、最もエキサイティングな時期です。
しかし、私が経営者として一番つらかったのはまさにそのタイミングでした。売り上げが急速に伸びていく一方で、当時のラクスルは離職率が40%を超えるほど、異常に高まっていたのです。まさに組織崩壊といっていい状態でした。
その背景には、急成長に伴う業務の急拡大があります。プロダクトの機能拡充、サプライチェーンの強化、カスタマーサポートの設置など、やるべきことはいくらでもありました。しかし当時のラクスルは、私が全ての領域を見て指示を出すという、いわゆる文鎮型組織。トップ1人とその指示を受けて動く仲間たち、という図式でした。
ただ業務拡大で私が見られる領域も限界に達していたため、指示の精度が下がり、指示の出し方も雑になるなど、社員の負担も高まっていたのです。
また私自身、24歳で起業したためにマネジメントが十分ではなかったですし、むしろプレーヤーとして動く方が好きなタイプでした。そして同級生を中心に会社をつくってきたので、社内にマネジメント経験がある人材もいませんでした。結果的に会社はマネジメント不在のまま組織と業務が急激に拡大し、機能不全を起こしていたのです。
もちろん退職の理由はいろいろありました。中には「松本さんは資金調達をしてから変わってしまった」と言って去った人もいます。きっと以前と同じやり方のままで経営してほしかったのでしょう。
でも、経営スタイルが変わるのは当たり前のことなのです。会社を大きくするために資金調達をしたのに、これまでと変わらない経営を続けたら困るのは投資家です。私には経営のギアを変えて、会社を変化させていく責任がありました。
Powered by リゾーム?