日本を代表する温泉旅館とマルチタスクで、北米進出を計画する星野リゾート。現在創業109年。「短期的な収益増が、長期的サステナビリティーを犠牲にする」と語る星野佳路代表は、常に50年後、100年後を見据えた投資をしている。他企業とは一線を画す星野リゾートの次の一手とは。「失敗がしたい」と話す星野代表の真意とは。WiL伊佐山氏が聞く。

(構成:佐藤友美)

星野佳路(ほしの・よしはる)
星野佳路(ほしの・よしはる)
星野リゾート代表。1914年に長野県軽井沢で開業した星野温泉旅館の4代目。慶応義塾大学経済学部卒業。米国コーネル大学ホテル経営大学院修士課程修了。91年に社長就任。92年より不動産所有を本業とせず、運営会社を目指すという企業将来像を発表し、その後施設数を拡大。95年に社名を星野リゾートに変更した。「星のや」「界」「リゾナーレ」「OMO(おも)」「BEB(ベブ)」の5ブランドを中心に、全国で63軒のリゾート、旅館を運営(写真:的野 弘路)

米ハワイでの開業を皮切りに、北米展開に乗り出すと聞いています。アフターコロナのこのタイミングで、あえて北米への進出を考えた背景をうかがえますか。

 私たちは1992年からホテル・リゾート施設の運営会社として、不動産を所有しない経営を目指してきました。そのメリットは、成長のスピードを上げられることです。不動産を所有しないので、案件数を増やしていくことができますし、不動産に投資する分を運営ノウハウに集中投資できます。それが過去20年の星野リゾートの成長につながってきました。

 そしてこの先の20年を考えたとき、日本のホテル運営会社が世界に認めてもらうためには、やはり北米で認められる必要があると考えました。旅行に関する情報発信や運営会社の拠点を見ると、ほぼ北米なのです。その最も難しい市場に入る前に、ハワイで準備運動をしようと「サーフジャック ハワイ」を取得したのが6年前です。ですから、北米進出を考えたのは、実は新型コロナウイルス禍よりもだいぶ前なのです。

 一番難しく、一番競合が多い市場に星野リゾートが入っていくためには、絶対的に温泉旅館である必要があると考えています。北米には1200カ所以上の温泉地があるといわれています。その中で、日本らしい温泉旅館を建てることができる場所を探している段階です。

温泉という切り口は、やはり星野リゾートの原点が温泉旅館だからですか?

 少しニュアンスが違うかもしれません。実は私は86年に米国の大学院を修了し、北米に展開している日系ホテルの運営に関わったことがあります。当時はバブルのど真ん中で、日本企業が海外にどんどん不動産投資をする時代。『Japan as Number One』という本が世を席巻していた時代です。そんな時代に勤務していた日系ホテルがシカゴに開業することになり、私はそこでプロジェクトマネジャーとして開業を担当することになりました。それが88年ごろです。

 ところが、開業が近づいてくると、現地のメディアやジャーナリストに「なぜ日本のホテル会社が米国にきて、西洋式ホテルをやるのか?」と質問をされるようになったのです。この質問に対しては、どう回答しても腑(ふ)に落ちない顔をされる。現地の人たちの感覚でいうと「日本のすし職人が、なぜシカゴにきてフランス料理をやっているんだ?」ということなのでしょう。すっと心に届かないものを、どのように説明してもマーケットには受け入れられないというのが、当時の私が経験したことでした。

 一般的には、日系ホテルがバブル期に北米でことごとく失敗して撤退したのは、投資パフォーマンスが悪かったからとか、バブルが崩壊したからなどという理由で処理されてしまっています。しかし、その真の理由は、「なぜ日本のホテル会社が米国で日本流のホテルをやらないのか?」の質問に答えられなかったからだと私は思っています。だから、私たちが好む好まざるにかかわらず、日本のホテル会社が海外に進出するときは、なんらかの形で「彼らが期待する日本」を打ち出す必要がある。そうでなければ、最初の一歩を踏み出せないと考えています。