3月16日、2022年の春季労使交渉(春闘)は集中回答日を迎える。トヨタ自動車の満額回答が大きく報じられるなど、新型コロナウイルス禍で落ち込んだ業績の回復基調に乗って明るいムードが漂う。一方で、同じトヨタが交渉や合意の内容の公開に一層後ろ向きになったことは、賃上げのリード役不在も強く印象づけた。

 気づけば先進国の中でも最低クラスになってしまった日本の賃金水準だが、今後いかにすれば引き上げに向けた道筋が付けられるのか。労働経済学の大家で、春闘の形骸化に警鐘を鳴らしてきた労働政策研究・研修機構の樋口美雄理事長に話を聞いた。

樋口美雄(ひぐち・よしお)氏
樋口美雄(ひぐち・よしお)氏
1980年慶応義塾大学大学院商学研究科博士課程修了。同大学商学部教授、商学部長などを経て2013年厚生労働省労働政策審議会会長。働き方改革に関する政府の各種会議に構成員として参画している。18年より現職。(写真=竹井俊晴)

日本で長く賃上げが起こらない背景には、独特の労使関係があると指摘されていますね。

労働政策研究・研修機構の樋口美雄理事長(以下、樋口氏):賃金の決定をめぐっては、日本の場合には戦後間もないころからずっと、個別企業の労使で決めるというのが慣習になっています。欧州では個別企業の枠を超えて業務内容や地域によって共通の賃金を決めている。企業間競争が激しさを増す中、生産性の上昇が遅いのに加え、こうした賃金決定方式が賃金の上昇を難しくしている。

 日本は個別分散型の、欧州は中央集権型の賃金決定をしていると言えます。

 両者はそれぞれに一長一短があって、まず日本の場合にはそれぞれの企業の経営状況が反映されるので、ある意味で賃金は柔軟性を有している。景気が悪化して業績が落ち込んだ場合には、従業員を解雇することなく、ボーナスなどを引き下げ、基本給を引き上げないことで調整ができる。

 対して欧州の場合には、企業横断的に賃金を決定しているので、個別企業の事情はあまり反映されません。ですから、従業員の整理に手をつけざるを得ないケースが出てきます。賃金は硬直的だと言えるでしょう。

システムに根ざした構造問題

雇用の継続という意味では日本の賃金決定のメカニズムのほうが優れているようですが、逆に欠点はなんなのでしょうか。

樋口氏:日本の場合には、組合も企業の競争力を念頭に置きながら交渉するので、どうしても限界が出てきます。労働者にとってみれば、賃上げも重要ですが、前提となる雇用が失われてしまってはたまりませんから。結局、自社の競争力を落とすことにしかならないので、ストライキにも消極的です。

 このように個別分散型の労使交渉ではどうしても組合サイドの立場が弱くなってしまう。こうした欠点を補ってきたのが春闘です。毎年、一斉に賃上げ交渉をすることで、リーダーとなる企業が設定した賃金水準を世の中に波及させていく。同業他社や地域に波及させることで、弱い企業もカバーしてきたわけですが、激化した国内外の企業間競争で春闘からこの波及力が失われてしまった。それがここ20年ぐらいの変化だと思います。

春闘が波及力を失った結果、賃金が上がらない状態が続いていると。

樋口氏:特にデフレ下では、製品市場における価格競争が激しくなるので、企業はコストダウンして競争力を維持しようとする。賃上げも望めません。まさにデフレスパイラルな状況が生まれてきました。これはシステムに根ざした構造的問題なので、解決策を見いだすのは容易ではありません。

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