「クーポンの期限は今日まで」「気に入らなければ全額返金」──。あまり興味関心がなかった商品にもかかわらず、つい買ってしまう。このようなエピソードの背景には、売り手の「計算」がある。

 人間は必ずしも合理的に考えたり、行動したりしない。こうした心理の仕組みは近年、「行動経済学」として理論化され、再現性の高いマーケティング手法として実用が進む。いわば本能に働きかけるマーケティングだ。「進化する買わせる技術」を紹介していこう。

 初回はNTTドコモや三陽商会の取り組みだ。ドコモはスマートフォンに効果的なメッセージを配信する実証実験を重ねている。人々に“よりよい”自発的な選択を促す「ナッジ理論」を活用。最新技術で一人ひとりの思考レベルまで分析し、深層心理に訴えかける取り組みが広がり始めた。

■連載予定 ※内容は予告なく変更する場合があります
(1)NTTドコモ、メッセージ配信で「そっと後押し」(今回)
(2)LCCピーチの「旅くじ」に大行列 あえて不便なものが売れるワケ
(3)タイガースファンも大爆笑 人が動きたくなるオモロイ“仕掛学”
(4)「モノ売らない店」に企業と消費者が押しかける理由
(5)後発ながらシェア奪取の勝ち筋、シミュレーションで学ぶ行動経済学
(6)気づけばステマで大炎上……行動経済学の「失敗」防ぐ5カ条
(7)大竹文雄・阪大教授「行動経済学は誰もが活用する時代に」

 「次のバスを見送ってポイントGET!」「最短1分の待ち時間でポイント獲得チャンス!」。2021年9~12月、東急バスの利用者約3000人のスマートフォンに、こんなメッセージが送られた。

 あるバスが渋滞などをきっかけに遅れ始めるとバス停で待つ人が増え、乗り降りに時間がかかってさらに遅れが増していく――。路線バスでよく見かける光景だ。その結果、後続のバスがすぐ後をガラガラで走ることも少なくない。冒頭のメッセージは、後からやってくる空いているバスへと利用者を誘導するために配信されたものだ。

東急バスは混雑の平準化を狙い、混雑したバスを1本見送るように促すメッセージを配信した(写真:古立康三。写真はイメージ)
東急バスは混雑の平準化を狙い、混雑したバスを1本見送るように促すメッセージを配信した(写真:古立康三。写真はイメージ)

 東急バス企画部IT戦略グループの大杉正樹氏は「新型コロナウイルス禍で密状態に対する意識が高まり、混雑の平準化が重要になった」と話す。東急バスでは、乗降人数を計測するために以前からバスの入り口と出口に赤外線センサーを設置しており、社内では混雑状況をリアルタイムで把握していた。これを利用者にも情報提供することにしたが、ただ配信するだけでなく、利用者が混雑を回避する行動を起こすにはどうすべきか。バスとの通信回線で付き合いがあったNTTドコモの担当者に相談したところ「ナッジを使ってみては」という提案があり、共同で実証実験を行うことにした。

 ナッジは英語で「そっと後押しする」という意味。人々が自身にとってよりよい行動を自発的に選択できるよう促す取り組みを指す行動経済学の理論だ。この理論を提唱した米国シカゴ大学のリチャード・セイラー教授が2017年にノーベル経済学賞を受賞するなど、近年注目度が高まっている。

 実証実験は2段階で行われた。21年3月からの第1弾では、バス停のデジタルサイネージに混雑情報を配信。次に来るバスよりも1本後のバスのほうが空いている場合に「次のバスを見送ると、快適に乗車できます」といったメッセージを表示させた。ただ、利用客が待てるのは5分間くらいと想定し、見送りを促すのは次のバスが2つ手前のバス停に到着している場合に限った。