今回の「極言暴論」はまさにタイトルのまんまだ。DX(デジタルトランスフォーメーション)は形を変えたリストラである。少し考えれば分かると思うが、DXとはビジネス構造のトランスフォーメーション(変革)なのだから当たり前の話だ。ところが、日本企業の経営者が「我が社もDXだ!」と騒ぐ際には、そんな厳しさがみじんもない。こんなことじゃDXも、それに合わせた社員のリスキリング(学び直し)も、うまくいくわけがないだろう。

 まず「リストラとは」を真っ先に書いておく。リストラと聞くと、クビ切りを連想するためか、脊髄反射的に嫌悪感を覚える人がいる。本来は「リストラ=社員の解雇」ではない。リストラはリストラクチャリングの略称であり、リストラクチャリングとは「事業(ビジネス)構造の再構築」を指す。再構築の際、不採算部門を縮小するなどすれば当然、その部門で働く人が余剰人員化するから、リストラという言葉のイメージ通りのクビ切りが実施されるわけだ。

 さて、納得できたかと思うが、定義からするとDXはリストラの一形態だ。私はDXを「デジタルを活用したビジネス構造の変革」と定義してきたが、これは何もリストラの定義を意識したからではない。当たり前である。ビジネス構造を変えないのであれば、DXでも何でもないからな。それは単なるデジタル化の取り組みである。いや、それですらないな。AI(人工知能)を使って何とやら、といった日本企業の取り組みの大半は、毒にも薬にもならない「デジタルごっこ」にすぎない。

 要するに、DXとは「デジタルを活用したリストラクチャリング(リストラ)」と定義できる。実際に目指しているところもリストラそのものだ。DXを機械的に2つに分けると、「デジタルを使った既存ビジネスの変革」と「デジタルを使った新規ビジネスの創出」である。前者のほうは、リストラとして極めて分かりやすい。デジタルにより業務プロセスを変革したり、特定の業務自体を不要にしたりする。まさに古典的なリストラのイメージ通りの取り組みだ。

 それに比べると後者は「お花畑の世界」だ。何せ既存ビジネスとは別個に、全く新しいデジタルビジネスを起こそうというのだから、誰かが貧乏くじを引く不吉さは感じられない。だが新ビジネスが立ち上がれば、それに隣接する業務はやはり不要になる可能性がある。それに新ビジネスの創出を正しいDXとして、つまりビジネス構造の変革(再構築)の一環として実施するならば、事業ポートフォリオをデジタル中心に組み替えていくことになる。つまり既存ビジネスの幾つかはお払い箱となるはずだ。

 そういえば最近、この極言暴論などで「終身雇用を改め解雇を容易にしないと日本は滅ぶぞ」なんてことばかり書いているものだから、木村嫌い、極言暴論嫌いの人からは「木村は強者の論理を振り回すアホ」みたいに思われているらしい。だが、これは強者の論理じゃないぞ。「リストラや解雇を容易にできるようにならないと日本は滅ぶ」は論理的必然なのだ。それに企業の中での強者である経営者からすれば、リストラや社員の解雇は真っ平ごめんのはずだしな。

次ページ DXという名のリストラを推進すべし