終身雇用が生む日本企業のCIOの保身願望
なぜ米国企業と日本企業ではCIOの行動パターンや思考回路がここまで違うのかというと……。これはもうクイズにもならないな。日本企業のCIOの多くは、IT部門の中だけで生きてきた人だ。新卒で終身雇用され、年功序列に近い形でIT部門の中だけで「出世」してきた。そして多くの場合、CIOはそんなキャリアの輝かしい「上がり」のポジションだ。新しいことに挑戦したとか、変革を主導したとか、そんなキャリアを今更つくる必要はない。
しかも、自分のシマであるIT部門には必要最低限の部下しかいない。そもそも今のご時世ではIT人材の中途採用は難しいが、仮にシステム刷新に合わせて中途採用できたとしても、プロジェクトが終われば中途採用した人材にあてがう仕事がなくなってしまう。従って米国企業のように、システム刷新プロジェクトのために優秀なプロマネやエンジニアを雇うなんて、夢のまた夢だ。結局のところSIerに委託して、システムを開発するしかない。
さらに言えば、IT部門は事業部門に比べて社内での地位が低く立場も弱い。CIO、そしてその部下であるIT部員はそんな社内の力関係の中で長く働いてきた。事業部門の要求をむげに断って怒らせてしまえば、立場がさらに悪くなる。で、「和をもって貴しとなす」だ。システム刷新では事業部門のむちゃな要求を受け入れて、ITベンダーにむちゃを強いる。結果としてシステム開発のリスクを高め、実際にプロジェクトを大炎上させるという愚を犯す。
結局のところ、米国企業と日本企業のCIO、そしてIT人材らの行動パターンや思考回路に差が生じる原因は、雇用制度の違いに帰着する。いつクビになるか分からない環境で働き、実績を上げて転職を重ねることでキャリアを築いた人と、ずっと同じ企業、同じ部門で働くのを前提に「出世」の階段を上った人とでは違って当たり前だ。もちろん、能力の面でも格段の差が生まれる。どちらが優秀か。これもまた言うまでもないな。
さて、ここまで日米のCIOの違いについて、あくまでも「CIOの個人の都合」の観点から述べてきた。要するに日米の雇用制度の違いを前提に「今以上にキャリアアップを図りたい」とか「大過なく過ごしたい」とかいったCIOの個人的野心や保身願望から、システム刷新などの際にどういった行動パターンや思考回路が生じるのかとの観点だ。もちろん、こうした分析は変だというのは承知している。システム刷新などはあくまでも企業戦略に基づくものでなければならず、個人的な野心や願望に左右されてはならないからだ。
だが、人は「会社のため」などと建前を言いつつ、自身の野心や保身願望などによって動く。そしてCEO以下、CIOら経営幹部の野心や願望に基づく意思決定が企業の命運を左右する。もちろん意思決定の内実がそうであっても、結果が良ければそれこそ結果オーライだ。では、日本企業と米国企業ではどちらが結果オーライなのか。当然、米国企業だよね。最新技術を取り入れた野心的なシステムが構築されたり、抜本的な業務改革が実現できたりするからね。CIOらが保身願望にとらわれた日本企業とは訳が違うのである。
ここまで読んできて、違和感を覚えている読者がいるかもしれない。最近は日本企業でもCIOらを外部から招へいするケースが増えてきているので、その違和感は当然だ。例えば日経コンピュータのコラム「CIOが挑む」に登場する人は、今や大半が外部招へい組だ。彼ら彼女らの多くは招へいされた企業に骨をうずめるつもりはない。実績を上げ、さらなるキャリアアップを図ろうという野心においては、米国企業のCIOと同じだ。ところが日米では決定的な違いがある。結論を先に言うと、日本企業では必ず「反革命」が起こるのだ。
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