デジタル庁が2021年9月1日に発足したことで、行政のDX(デジタルトランスフォーメーション)はうまくいくだろうか――。そう人から尋ねられたら、私はちゅうちょなく「駄目でしょ」と答える。変革の志に燃えてデジタル庁に集った人たちには申し訳ないが、行政のDXはほぼ無理だ。

 「言い出しっぺ」の菅義偉首相がデジタル庁の発足直後に突然、退陣を表明したからこんな話をしているわけではない。菅首相であろうと新首相であろうと、政治家が「デジタル庁をつくっても行政のDXは不可能に近い」という構造問題を深く認識するはずがないからヤバいのだ。深く認識したとしても、これから説明するこの構造問題を解決し、行政のDXを完遂するのは、目まいがするほど困難ではあるが。

 「おやおや、デジタル庁が発足した途端、おとしめるつもりだな。木村がやりそうなことだ」と、私を目の敵にする一部のIT関係者が言い出しそうだが、それは違うからな。当事者(当然、国民も当事者)が「ほぼ無理」という現実を認識しているかどうかで、結果は多少なりとも変わってくる。どんなことでも、結果はゼロかイチではない。行政のDXも成功か失敗かの二者択一ではない。目まいがするほど困難であるという認識が広く共有されれば、少しはましな方向に進むはずである。

 さて本題に入る前に、読者にこんな謎をかけてみよう。お分かりになるだろうか。「デジタル庁ができたことで行政のDXはうまくいくか」と聞かれたら、私は「駄目でしょ」と答える。だが「行政のDXがうまくいくか、いかないかを賭けるとして、あなたはうまくいかないほうに賭けるか」と聞かれたら、私は「絶対にそんなばかげた賭けはしない」と答える。その賭けがたとえ合法であったとしても、絶対に負けるからである。さて、なぜでしょう。

 答えは実に簡単だ。「絶対に成功したことになる」からだ。行政のDXの内実がどんなに悲惨なものであったとしても、行政のDXは成功裏に完遂したことになるのである。別に首相やデジタル相ら政治家だけが「成功した! 成功した!」と騒ぐわけではないぞ。「デジタル化かDXか何か知らんが、そんなことに付き合えないぞ」と足を引っ張っていた抵抗勢力の役人も「成功した」と言い出す。「うまくいかなかった」と失意に沈むデジタル庁の担当者も「成功だ」と語るだろう。

 この現象は、民間の企業でおなじみの光景だ。ERP(統合基幹業務システム)導入による業務改革とか、BPR(ビジネス・プロセス・リエンジニアリング)など過去の取り組みの多くは皆、壮絶に破綻した。でも、関係者は誰も彼も「成功裏に完遂した」と口裏を合わせ、厚かましくもメディアに成功事例として登場したりした。ただ、これは当たり前である。「失敗した」と正直に話すアホウはどこにもいない。口裏を合わせておけば、ほぼバレないからな。行政のDXも同じ。だから、先ほどの賭けには勝てないのだ。

続きを読む 2/4 霞が関では「DX」と「行政改革」は別概念

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