日本企業には独裁を認める組織文化が希薄だから、意思決定が遅く、しかもその意思決定の内容はろくでもない。当然、全体最適など夢のまた夢だから、まともな情報システムなどつくれない――。私は以前からそう思っていたのだが、民主主義の世の中にあって「独裁」という言葉は穏やかではない。なので、さすがの「極言暴論」でも書いてこなかったが、今回は声を大にして主張することにしよう。「日本企業には独裁が必要だ」。

 一般にはこうした場合、独裁ではなく「トップダウン」という言葉を使う。だけど、トップダウンはボトムアップと対になって語られるように、単に意思決定のプロセス、あるいはその在り方を形式的に言っているだけだから、いくら力んで主張したところで何の意味もないんだよね。経営者が独裁的な権限を行使しないと、トップダウンの意思決定など不可能だからな。ただし、どこぞの国の独裁者のような存在が日本企業に必要だと言っているわけではないので、念のため。

 もちろん、日本企業にも独裁的な経営者がいないわけではない。創業者や創業家、あるいは「中興の祖」とされるような経営者が指揮を執るような企業だ。当然、意思決定は早く、デジタル(IT)活用先進企業と言いはやされている例も少なくない。そういえば、中にはどこぞの国の独裁者のような経営者もいるにはいるな。企業の存続の危機を救った外国人経営者が独裁者となり果て、最後には刑事被告人のまま海外逃亡を図った事件もあった。

 今回の「極言暴論」では、そんなレアケースに触れるつもりはない。独裁の必要性を認めない日本企業のありようがいかに問題なのか、特にDX(デジタルトランスフォーメーション)の推進どころか、何てことないシステムの開発にも致命的な悪影響を及ぼすかについて暴論してみたい。ちなみに、この独裁の件は経営者だけの問題ではないぞ。プロジェクトマネジャーなどリーダー全般に言える話だからな。

 ただねぇ、あえて「暴論してみたい」と書いたものの、この話は暴論でも何でもなくて、むしろ正論過ぎるんだよね。世界中のどの企業に、CEO(最高経営責任者)が独裁的な権限を持たないところがあるのか。さらに言えば、そのCEOから職務に応じた範囲で独裁的な権限を与えられていないオフィサーやマネジャーがいるのか。そうでないのは本当に日本企業ぐらいである。そういえば以前、日本企業の管理職に部下に対する人事権がないと聞いた米国企業のマネジャーが「それでどうやって目標を達成するのか」と驚き、あきれていたな。

 それに、どこぞの国の独裁者の蛮行を見聞きしているから独裁という言葉がおどろおどろしく感じるのであって、企業の意思決定の在り方として独裁はごく普通のことだ。それどころか、民主主義国家の行政機関においても独裁は当然あるべきことなのだ。もちろん、議会や取締役会が独裁者の言いなりになっていてはまずいが、例えば執行役(あるいは執行役員)の社長やCEOに率いられた会社組織においては、独裁が機能していなければならない。これは経営のイロハだぞ。

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