投資や資産運用、お金全般に興味があるなら、学んで損はないのが「世界大恐慌の歴史」。今回は、株価暴落を予測して売り抜けて大儲けした、ジョセフ・P・ケネディのケーススタディー。靴磨きの少年との出会いで得た「確信」とは。『大恐慌の勝者たち』から抜粋してお届けする。

ジョセフ・P・ケネディ。第35代アメリカ大統領のジョン・F・ケネディの父として知られるが、政界に転じる前に相場師として大成功。「ケネディ王朝」の礎となる資産を築いた(写真:ユニフォトプレス)
ジョセフ・P・ケネディ。第35代アメリカ大統領のジョン・F・ケネディの父として知られるが、政界に転じる前に相場師として大成功。「ケネディ王朝」の礎となる資産を築いた(写真:ユニフォトプレス)

 ジョセフ・P・ケネディの名前は、その息子によって広く知れ渡ることになった。 第35代アメリカ大統領ジョン・F・ケネディの父親がジョセフであり、「ケネディ王朝の創始者」としてアメリカの政財界に君臨した人物である。

 ジョセフは1920年代の好況期に、株式や不動産投資で莫大な資産を築いた。そして1929年10月の株価大暴落を正しく予知することで、いち早く撤退の決断を下し、莫大な資産を守り抜く。この資産を武器に政界に転じたジョセフは、息子を大統領に当選させるなど、「ケネディ王朝」と呼ばれる成功を手にしたのであった。

 ジョセフはどうやって株価の大暴落を予知したのか。そのきっかけを与えてくれたのは「靴磨きの少年」であったという。

ニセ情報にだまされながら、センスを磨く

 ジョセフ・P・ケネディは1888年9月6日、ボストンのアイルランド系移民の一族に生まれた。名門ハーバード大学を卒業後、州の銀行監査官の仕事を経て、父親が大株主だった信託銀行で仕事を始める。

 1913年、この銀行が買収攻勢にさらされた時、防衛戦略の先頭に立ったのがジョセフだった。ジョセフはハーバード大学で得た人脈を駆使し、有力者から防衛資金や委任状をかき集めていった。これを見た相手は買収を断念、ジョセフは銀行を買収の危機から守ることに成功する。その功績と実力を評価した経営陣は、ジョセフを頭取に選任する。この時ジョセフは25歳、アメリカで最年少となる銀行頭取の誕生だと騒がれた。大物実業家の片鱗(へんりん)を見せたジョセフは、「35歳の誕生日までに 100万ドル儲けてみせる」と意気込んだという。

 ジョセフが相場の世界に飛び込んだのは31歳の時だ。「ヘイドン・アンド・ストー ン」という証券会社に入り株取引を始めたが、当初は失敗続きだった。ニセの情報をつかまされたり、噂に乗せられたりして損を出し続けたが、苦い経験を積み重ねることで、次第に情報の質を見極める術を身につけてゆく。

 1922年、34歳になったジョセフは、「銀行業ジョセフ・ケネディ」の看板を掲げて独立する。情報収集に対する熱意、感情にとらわれない冷静さとチャンスを逃さないセンスを持ち合わせていたという。彼の友人は「ジョーは、相場の日々の変動を追ってあれこれと細かく稼ぐことには関心がなかった。彼の関心は大きな情勢の変化と大きな金額にあった。そこが投機家と賭博師の違いだ」と語っている。

法律ができる前に荒稼ぎ!

 しかし、ジョセフの取引手法は、スマートなものばかりではなかった。インサイダー取引や風説の流布、空売りと組み合わせた相場操縦など、現代では禁止されている手法も少なくなかった。その一例が「ストック・プール」と呼ばれる手法だ。

 2、3の業者が談合して、経営不振で株価が低迷する銘柄を集中的に買い上げて、他の市場参加者が動くのを待つ。そして、思惑通りに買いが殺到したら、その瞬間を狙って持ち株を処分し、利益を上げるというものだ。いわゆる相場操縦であり、こうした取引は後に規制されることになるが、ジョセフは「株で金儲けするのは簡単だ。 政府がこれを制限する法律をつくる前に稼いでいた方がよい」と言い切ったという。

 株取引で財産を築いたジョセフは、映画産業に参入して成功を収めたほか、不動産取引でも大儲けする。

 そんなジョセフに株式市場からの本格的な撤退を決意させたのは、靴磨きの少年とのちょっとした会話だったという。

続きを読む 2/4 靴磨きの少年が教えた「宴の終わり」

この記事はシリーズ「マネーの教養「世界大恐慌の真実」」に収容されています。WATCHすると、トップページやマイページで新たな記事の配信が確認できるほか、スマートフォン向けアプリでも記事更新の通知を受け取ることができます。