「株価が事実上崩壊した。株式取引市場最大の惨事となったこの日、巨大な損失を道連れにして株価は暴落した」と伝えたのは米紙ニューヨーク・タイムズ。「暗黒」の波状攻撃を受けた株式市場だったが、ここから一気に奈落の底へ……という動きにはならなかった。

 長年の株高に対する未練は強く、割安となった株式を買い戻す動きが広がったのだ。これによって株価は反発に転じ、翌1930年の4月、ダウ平均株価は290ドル台を回復する。わずか半年で暗黒の木曜日前の水準に戻ったのだ。

 市場に、再び楽観的な見方が広がった。株価の下落は、やはり一時的なものだった。今回の株価回復が、何よりそれを物語っているではないかというのだ。

 しかし、これもフェイクであった。実体経済はすでに深刻な不況に陥っていた。株価がそれを反映するのは時間の問題であった。

出典:『大恐慌の勝者たち』(日経BP)
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ニューヨーク株式市場の「失われた25年」

 株式市場は1930年の夏から本格的な暴落を始める。ダウ平均株価は10月には200ドルを割り込み、31年4月に150ドル割れ、9月には100ドル割れとなった。株価の下げはさらに続き、32年7月8日に41.22ドルにまで落ち込んでしまった。ピーク時の実に10分の1の水準だ。

 この間も、一時的な株価回復が幾度となくあった。株高への未練を捨てきれない投機家たちは、「ここが底値だ」と買い戻したことで、傷口を広げていく。

 激しい株価変動に翻弄された末に、自ら命を絶った者もいた。この頃、街ではこんな噂が広まっていた。宿泊客にホテルの支配人がこう尋ねているというのだ。「眠るための部屋をお望みですか?それとも飛び降りるための部屋ですか?」と。

 こうして大恐慌期のダウ平均の推移を振り返ると、フェイク相場に幾度となく騙され、煮え湯を飲まされた人々の姿が浮かび上がる。しかし、これは何も大恐慌期に限ったことでなく、これからも何度でも繰り返されることなのだろう。

 株価はその後も低迷を続けた。1937年にかけてダウ平均株価は200ドル近くまで回復するが、38年にかけて再度下落基調に転じて一時100ドル割れとなる。ダウ平均株価が29年に付けたピークを超えたのは54年11月のこと。株価の回復に25年が費やされたのである。

出典:『大恐慌の勝者たち』(日経BP)
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