設計の腕もあった岸田だが、前東京五輪では自らは設計せず、プロデューサーとして全施設をコントロールする役割を担った。日本体育協会の施設特別委員会の委員長として、主要施設の設計者をほとんど1人で選んだといわれる。
前回掲載した設計者一覧を再掲する。
当然、批判の声もあった。しかし岸田は、「この人選に対してその不透明性を指摘して非難する向きもあるやに聞くが、これらの人選に対して、施設特別委員会の委員長であるわたくしが全責任を負う」(『新建築』1964年10月号より)と突っぱねた。
剛腕・岸田日出刀は二度と現れない
今度の五輪でも、岸田日出刀のような強いリーダーがいれば……と言いたいわけではない。そういう全権集中型の指揮官は、成長期から成熟期へと移った日本では、もう想定しないほうがよいと思う。
領域を広く横断する五輪のようなプロジェクトに、リーダーが必要であることは間違いない。しかし、そのリーダーは、民主的な“弱いリーダーシップ”の下で、全体の質を高める“目標”を設定し、実現に向けたアイデアを、境界を越えて吸い上げていく“仕組み”をつくることが求められる。
日本の建築界はそうした「領域横断のスキル」を早く、数多く見つけていかなければならない。日本で五輪が行われることは当面ないだろう。だが、日常的に続く都市開発ではそういうスキルが確実に求められている。都心に続々と建ち上がる「メッセージ性のない再開発ビル」を見るにつけ、そう思う。それは、建築分野以外にも求められるスキルなのではないか。
国立競技場や高輪ゲートウェイ駅、角川武蔵野ミュージアムなどを次々とデザインし、時の建築家となった隈研吾氏。若いころから多作で、これまで手掛けてきた建築のジャンルは多岐にわたります。
本書では、そのうち国内で見ておくべき建築50件を抜粋。“隈建築"はどのようにして進化を遂げたのか、それぞれの面白さをキーワードで分類し、イラスト豊富な図鑑形式で紹介します。
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