プリツカー賞「最多」でも五輪は…

 日本には「建築界のノーベル賞」といわれるプリツカー賞を受賞した建築家が7人いる。受賞順に挙げると、槇文彦氏、安藤忠雄氏、SANAAの妹島和世氏と西沢立衛氏、伊東豊雄氏、坂茂氏、磯崎新氏だ。亡くなった丹下健三氏も含めると、国別では米国と並んで最も多い。世界で最も建築レベルの高い国の1つと言って過言ではない。

日本のプリツカー賞受賞者たち(イラスト:宮沢 洋)
日本のプリツカー賞受賞者たち(イラスト:宮沢 洋)

 しかし、その受賞者は誰も、今回の五輪施設の設計に関わっていない。

 なぜそうなったのかというと、各施設の設計者が「類似実績」や「組織規模」を重視した選考方法で決められたからだ。大規模施設を大組織が設計することは説明としては分かりやすい。だが、全施設をそうした視点で決めるのは国としてのバランスを欠いてはいまいか……。と、役人を責めるつもりはない。今回の五輪のように、「全体を統括する立場の人」が誰もおらず、役人が粛々と発注したら、そうなるのは仕方がないだろう。

 筆者は、今回の五輪で「日本の五輪施設は期待外れだった」という感想が世界に発信されるのを恐れていた。そういう情報が広まると、若手建築家が世界で活躍するチャンスが狭まるかもしれないからだ。コロナ禍による報道の制限で、建築に関する世界への発信が減るであろうことに、むしろ安堵している。あくまで個人的な意見だが……。

前回五輪で建築家大活躍の影に岸田日出刀の存在

 前回の五輪でなぜ名建築が数多く生まれたかを考えると、指揮官である岸田日出刀(ひでと)の存在が大きい。

 岸田は1899年生まれの建築家で、東京大学教授でもあった。丹下健三の才能を見抜いて東大内で押し上げた名伯楽である。建築家としては東大安田講堂の設計の中心になったことでも知られる。

岸田日出刀(イラスト:宮沢 洋)
岸田日出刀(イラスト:宮沢 洋)

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