「なぜ」が、勉強のステージを引き上げる

 誤解しないでほしいのですが、僕は何も「勉強なんて全部丸暗記で、与えられた答えを受け入れるのがいい」とか「とにかく大雑把なほうがいい」といっているわけではないんです。

 論理的に理由を問う姿勢というのはめちゃくちゃ重要で、そういう知的好奇心なしに勉強したって話にならないといっても過言ではないと思います。『ドラゴン桜』の国語講師、芥山龍三郎先生も、語っていました。

『ドラゴン桜』第5巻・44限目「屋外での授業」©Norifusa Mita/Cork
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 芥山先生がおっしゃるように、「常に『なぜ』という疑問を持つ」姿勢は、勉強をより上のステージに上げるために絶対に必要です。

勉強に内在する、本質的な矛盾

 でも、その「なぜ」の答えを知るためには、「1+1=2」であり、「-1×-1=1」であることを、知識として無条件に受け入れなければならない段階もあるのです。そうやって、いったん四則計算の法則を受け入れて、小学校、中学校の勉強を通過しないと、高校、大学に行って「なんでそうなっているのか」を問うという、本質的な勉強はできないのです。それまでは、とにかく「そういうものなんだ」と受け入れ、頭に入れて、それを前提に進んでいくしかないわけです。

 弁別性の高い人には、小学校や中学校の段階で「なぜ」にこだわるあまり、勉強につまずいた経験を持つ人が結構います。「論理的思考の落とし穴」といってもいいかもしれません。けれど、こういう人こそ、高校、大学、大学院へと進んだときに、学問を深められるというのも事実で、弁別性の低い人は逆に、高校以降に伸び悩むことがあります。

 わけのわからない法則でも、とりあえずいったん受け入れて進まないと、それがなぜそうなるかわかるところまでは到達できない。
 だけど、受け入れ続けているだけでは勉強する意味がなく、伸び悩んでしまう。

 この相反する勉強の2つの性質こそ、勉強ができない人を量産してしまう原因の1つかもしれません。

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