「わからないところがわからない」を嫌う東大生たち

 東大生は「わからない」で思考を止めません。「わからない」を「わからない」の一言で片づけないのが東大生で、「何がわからないのか」を分解して考えます。

 東大生は「わからないところがわからない」という状態を非常に嫌います。

 例えば、先ほどの「英語がわからない」という高校生だって、英語の教科書や試験問題に書いてあることの何もかもすべてがわからない、なんていうことはないと思うんですよね。例えば、アルファベットは全部書けるかもしれないし、「Hello!」の意味はわかるとか。何かしら「わかる範囲」があるはずです。

 東大生は、このような「わかる範囲」を足掛かりにして、「どこからがわからないのか」「何がわからないのか」を分解し、突き止めるというタスクに、粘り強く取り組みます。

 試験問題に向き合うときもそうです。

 パッと見たとき、できなそうな問題があっても、東大生はすぐに「わからない」と諦めてしまったりはしません。まず、「どこまでならわかるのか」「どこからがわからないのか」を明確にするのです。どんなに難しい英語の問題でも、日本語で書かれた問題文は理解できるかもしれません。数学だったら「これはきっと、確率の問題だな」とか、どんな知識を使って解くのかはわかるということもあるでしょう。どんな難問でも、まるっきり手も足も出ない、ということはほとんどないのです。

 頭がいい人というのは、東大生が試験問題と向き合うときと同じで、仕事でも、日常生活の課題でも、「わかる」と「わからない」を分解する思考訓練を、日ごろから積んでいます。

 それと比較して振り返ると、「わからない」で思考停止していた偏差値35の僕は、要するに逃げていたのです。

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