米東部時間の8月30日午後3時29分、アフガニスタンの首都カブールから最後の米兵たちを乗せた輸送機が飛び立って、米国で最も長い戦争(と米国では呼ぶ)は終了した。その日のうちにブリンケン米国務長官が声明を出し、翌31日にはバイデン米大統領が「人道のために命をかけたが、終わりなき撤退を速やかに完了して永遠の戦争を終わらせた」との趣旨の発言をして、「私はこの判断に責任を持つ」と胸を張った。

<span class="fontBold">米軍の撤退完了後、アフガニスタンの首都カブールの空港はタリバンの管理下に入った</span>(写真:AFP/アフロ)
米軍の撤退完了後、アフガニスタンの首都カブールの空港はタリバンの管理下に入った(写真:AFP/アフロ)

 イスラム主義組織タリバンは、今後は民主的な国家を築いていくと発表しているが、現状でそれを信じる人は少ない。その背景として、タリバンが今も国際テロ組織アルカイダと関係があるとの情報がある。

 そこで本稿では、現時点で筆者が欧米や中近東諸国などの政府関係者から得ている情報をまとめることで、アフガニスタンの現状とタリバンの目指している方向性について、タリバンの歴史などにも触れながら見ていきたい。

タリバンはトランプ政権との合意に基づいて行動

 メディアで報道されるのはアフガニスタン人が集まって混乱する空港周辺やテロのあった場所などが中心のため、アフガニスタン全体が大混乱に陥っているようにも見える。しかし、現地からの話では、タリバンがほぼ全土を掌握したアフガニスタンは多くの地域で平穏な状態に戻っているとのことだ。カブールも、大使館が集中していたグリーンゾーンを含めて一時の国外脱出に向けた異様な動きは収まっているらしい。外国人が国外に退去する際の拠点であるハミド・カルザイ(カブール)国際空港の安全が維持されているのは、タリバンの力を感じさせる。

 タリバンは、ブッシュ政権の支援で成立したカルザイ政権がその発足直後から取り込みを考えるほど勢力を維持してきた。米国は、2001年10月から14年までの「不朽の自由作戦」では開始1カ月後に復興計画に入ったが、各地で失敗の繰り返しだったのである。結局、タリバンは、オバマ政権が2012年にパリ会議を開いたときからの3つの主張(外国軍隊の完全撤退、米国のブラックリストからの削除、アフガニスタン全域の75%の支配)を今回、ほぼ実現した。

 アフガニスタン政府軍は、米軍の支援を受けて20万人の正規軍と15万人の国家警察として組成された。しかし、いずれも給与のための職探しで集まった人々なので、もともと忠誠心が低かったうえ、上司からの給与ピンハネの常習化とタリバンなどとの戦闘への不安から、年平均で全体の20%が脱走するなど全く統率のとれていない軍隊だった。

 その実態を把握していたタリバンは、4月のバイデン大統領による撤退宣言以降、静かに(裏取引として)ガニ政権関係者やアフガニスタン政府軍などへの買収攻勢に出たため、ガニ政権側のほとんどが寝返ったと思われる。

 しかも、米国在住20年で世界銀行勤務15年のガニ大統領は民衆との感覚のズレが大きく(危険地域である母国から米国に渡ってて世銀で働く人々は、母国からは米国へ逃げた移民だと認識される雰囲気がある)、アフガニスタン人としての仲間だと考えられておらず、カルザイ政権時代からの役人による汚職が横行していたらしい。つまり、アフガニスタン人の多くはガニ政権を早くから見限っていたのだ。米国が「自由の番人」作戦に切り替えて空爆をやめたことでタリバンの反撃が激しくなったこともあり、2016年の調査の段階では、「いつでもタリバンに寝返る」との声が多かったとされている。

 また、ガニ政権はカルザイ政権以来の連携先だった北部同盟トップのアブドラ氏とは犬猿の仲といわれた。ガニ大統領の国外逃亡はこうした環境下で起こったので、タリバンの全土掌握が早かったのはガニ政権の問題に帰するところが大きい。

 なお、タリバンは8月末までの米軍の国外退去について、カブール国際空港に行くバスの警護などで協力しており、タリバンが警護するバスは空港の検問が緩かったとの情報もある。

 ちなみに、韓国軍機が自衛隊機と違って390人も輸送できた背景には、韓国は米国が準備したバスでタリバンの警護を受けた一方、日本は独自に用意したバスでタリバンの警護を十分に受けれられなかったことがある、と現地情報では指摘されている。

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