「失われた30年」の間に、東芝やシャープの社長はリスクを取って、惨敗した。対照的に大きな成果を残した信越化学工業やダイキン工業の経営者と比べて何が足りなかったのか。中興の祖になれなかった者たちの挫折を教訓に、産業史に足跡を残す経営者の条件を探る。
IHIと東芝の中興の祖と称される土光敏夫氏は、時代に愛されていた。
1950年6月24日、経営難に陥っていた石川島重工業(現IHI)の社長に土光氏が就任すると、翌日に朝鮮戦争が勃発。旺盛な軍需によって日本経済は息を吹き返した。「石川島の業績は、まさに文字通り目覚ましく伸びていった」。82年1月に連載した日本経済新聞のコラム「私の履歴書」で土光氏はそう振り返っている。
65年5月に東京芝浦電気(現・東芝)の社長に就任すると、今度はその半年後にいざなぎ景気に突入し、「好況の波にのって、東芝はみるみる回復した」(私の履歴書から)。2度もツキに恵まれた土光氏は、「私はたいへん幸運な男」(同)と自らを評した。

時代に愛されぬ経営者たち
対照的に、バブル経済が崩壊した90年代以降の経営者は、時代に愛されたことがない。アベノミクスなどで景気拡大局面を迎えたとしても、かつての高度成長には遠く及ばない。景気の波に乗るだけで業績を伸ばせた幸せな時代は、とうに過ぎ去った。
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