失われた30年の中で輝いた経営者を探る本特集。中興の祖ランキングで4位となったのが中外製薬の永山治氏だ。製薬業界の国際競争が激化するとみて、世界大手・ロシュとの資本提携を決断した。中外製薬は現在、時価総額で国内製薬首位にまで成長。経営トップに立ち続けた25年超を振り返っての思いを聞いた。

<span class="fontBold">永山治(ながやま・おさむ)氏</span><br />中外製薬名誉会長<br />1947年生まれ。71年慶応義塾大学商学部卒業後、日本長期信用銀行(現・新生銀行)入行。ロンドン支店勤務を経て、78年中外製薬入社。85年開発企画本部副本部長、87年常務、89年副社長を経て92年社長。2012年会長兼CEO(最高経営責任者)、18年会長。20年3月から現職。同年7月から取締役会議長として東芝の再建に携わったが、21年の株主総会で退任した(写真:吉成大輔)
永山治(ながやま・おさむ)氏
中外製薬名誉会長
1947年生まれ。71年慶応義塾大学商学部卒業後、日本長期信用銀行(現・新生銀行)入行。ロンドン支店勤務を経て、78年中外製薬入社。85年開発企画本部副本部長、87年常務、89年副社長を経て92年社長。2012年会長兼CEO(最高経営責任者)、18年会長。20年3月から現職。同年7月から取締役会議長として東芝の再建に携わったが、21年の株主総会で退任した(写真:吉成大輔)

1992年、中外製薬の社長に就任されました。当時の状況や問題意識はどのようなものでしたか。

中外製薬・永山治名誉会長(以下、永山氏):まず、製薬会社というのは特殊なビジネスです。景気の影響を受けにくく、一度新薬を世に出せば、特許が切れるまで10年ほどは安定した売り上げが見込める。ただ裏を返せば、10年後に再び新薬を出すことができなければ、売り上げがゼロになる可能性もあるわけです。

 私がトップに就任した当時、足元の経営が傾いていたわけではありません。しかし、創薬のための研究開発費は年々増加する半面、新薬開発の成功率はどんどん低くなっていく状況にありました。さらに、国内の薬価は下がり、世界市場に占める日本の割合もジリジリと小さくなっていました。

 製薬会社の成長を決めるのは、新薬を生み出せるかどうかの一点です。10年後、20年後も新しい薬を生み出し続ける仕組みを作ること。そのために中外製薬を国際化させ、世界で戦える企業にすること。この2つが私に課せられた大きな使命でした。

この記事は会員登録で続きをご覧いただけます

残り1837文字 / 全文2429文字

日経ビジネス電子版有料会員なら

人気コラム、特集…すべての記事が読み放題

ウェビナー日経ビジネスLIVEにも参加し放題

バックナンバー11年分が読み放題

この記事はシリーズ「ガバナンスの今・未来」に収容されています。WATCHすると、トップページやマイページで新たな記事の配信が確認できるほか、スマートフォン向けアプリでも記事更新の通知を受け取ることができます。