「Pepper」プロジェクト参画をきっかけに起業
林氏:では私自身のキャリアと、LOVOTにつながった10の経験についてお話しします。
私は大手自動車メーカーでキャリアをスタートしました。空力エンジニアとして仕事を続ける中で、「Formula(フォーミュラ)1」というレースカーのチームで働く経験もしました。
その後、製品企画に異動し、外の世界を見て視野を広げたいという思いから、ソフトバンクグループの孫正義会長兼社長がつくった後継者養成学校「ソフトバンクアカデミア」にも通いました。
このソフトバンクアカデミアをきっかけに、ヒト型ロボット「Pepper」の開発プロジェクトに参画します。この時の経験から、「ロボットは日本の新たな産業に成長する」と思うようになり、GROOVE Xを創業しました。
私はスタジオジブリの作品が大好きでよく見ます。そのため、おそらく宮崎駿さんの影響を多分に受けて、「テクノロジーの発達、文明の進歩は人類を幸せにしているのか」という疑問を抱きました。しかしLOVOTのような人に愛されるロボットならば、そのモヤモヤを解決できると考えたのです。
LOVOTは人の心を満たし、幸せにするロボットです
愛着形成のためのテクノロジーを導入しています。動物に似た形はしていませんが、柔らかさや温かさを再現しています。生命感を宿す反応を実現するために、極めて高性能なコンピューターを組み込んでいます。値段も張りますが、購入者のアンケートでは「満足」と「やや満足」を合わせて94%に達しています。
これまで、認知症の人や失語症の人がLOVOTと触れ合うことで言葉を発するようになったり、登校をしぶる傾向のある小学生が学校に行けるようになったりといった奇跡を起こしています。私たちはLOVOTが常にオーナーのそばにいて、自然に見守り、心身のヘルスケアができる未来を思い描いています。
ここからは、私がLOVOTに取り組む上で役立った10の出来事について紹介します。
(1)小学生の時、父が自転車を15段変速に改造しました。
いとこから5段変速の自転車をもらいましたが、かなりボロボロでテンションが下がりました。しかし、父親がギアを追加し、変速機を付けて15段変速にしてくれたのです。「こんなことができるのか」と衝撃を受け、ボロボロだった自転車が一気に自分の宝物になりました。これが自分自身の発想を広げる原点になったと思います。
(2)中学生の時、「風の谷のナウシカ」に出てくる架空の飛行用装置「メーヴェ」をまねて、飛行実験しました。
ナウシカが乗った「メーヴェ」に私も乗りたくて乗りたくて、自分でつくりました。そして家の2階の窓から隣の畑に向かって飛行機を飛ばす実験を繰り返しました。メーヴェにはない尾翼の大切さに気づくなど、様々な学びを得ました。
(3)16歳ですべてのバイクに乗れる免許を取得しました。
漫画の主人公が大型バイクに乗っていることにあこがれて、「限定解除」と呼ばれる免許を取りました。教習所ではなく、運転免許試験場の審査でしか取得できない合格率が極めて低い免許でしたが、何十回も繰り返し通って、取得しました。目標に向けて万難を排して取り組む第1歩だったと思います。
(4)隣の領域のものも設計しました。
自動車メーカー時代に、車体の空力をよくするために、(自分の担当ではない)隣の領域の部品設計にも挑戦しました。設計などやったことがなかったので見よう見まねです。担当の設計者からは「こんなものじゃ話にならないよ」と言われましたが、それを機に私が希望する形状の部品設計を検討してもらったこともありました。自分の領域を半歩でも出てみることが大事だと思いました。
(5)20代で役員に「でも」と言いました。
変わった形の部品をプレゼンした時、技術担当の役員に「こんなものはダメだ」と言われました。色々なことを考え、様々な部署の方たちと調整した上でつくったので、私は「でも」「でも」と食い下がりました。そのプロジェクトは残念な結果に終わりましたが、役員に「骨のあるヤツだ」と名前を覚えてもらい、後にフォーミュラ1に送り出してもらうきっかけになりました。
(6)30代で日本語断ちして現地の人と働きました。
フォーミュラ1に携わっていた時は、チームは日本人同士で食事をしていました。私は英語が苦手でしたが、いつも現地の人と一緒に食事をするようにしていました。結果的に現地の人たちから信頼が得られ、英語もできるようになり、仕事がうまく回るようになりました。
(7)30代半ばで専門領域外に異動しました。
フォーミュラ1から戻る時、あえて専門ではない企画部門への異動を希望しました。30代半ばの、脂の乗った時期でしたが、何も分からない分野に異動したことで、めちゃくちゃ苦労しました。しかし、ここで多くのことを学びました。
(8)30代後半に、余暇としてソフトバンクアカデミアに参加しました。
ここで視野が非常に広がりました。
(9)アラフォーでロボット開発を始めました。
(10)40代前半で起業しました。
総事業費が100億円という、このプロジェクトを実現するために投資家を回って資金を集めました。ビジネスモデルをプレゼンテーションして、指摘されたことを次の投資家へのプレゼンまでに修正することを繰り返しました。20~30人に指摘をもらったことでビジネスモデルの完成度が上がり、無事起業にこぎ着けられました。
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