ようやく日本でのビジネスの話にたどり着きました。帰国後は軽井沢でコーヒーショップをオープンされています。
丸山氏:修行の道を諦めて帰国し、何をするか考えていませんでした。当時20代前半だったと思います。大学に行って学び直そうとも考えましたが、やはり違うなと感じました。
帰国後、知人の紹介で妻と出会いました。彼女の実家が軽井沢でペンションをやっていのですが、諸事情で閉めるというのです。だったらそこを使わせてもらおう、と。そこでコーヒーにのめり込むわけです。

やっとですね。なぜコーヒーにのめり込めたのでしょう。
丸山氏:ちょっと驚かれるかもしれませんが、コーヒーが嫌いだったからです。
え、そもそもコーヒーが嫌いだったんですか?! やっとコーヒーが出てきたと思ったのに。
丸山氏:はい。コーヒーって苦いし酸っぱいし、後味が変にベタつく。それで嫌いだったんです。でもそれって、焙煎を工夫すれば消せるということが分かったんです。
コーヒーといっても、まずは豆ではなく焙煎技術にのめり込みました。いわゆる職人の世界で、一生をかけて身につけていく。あるいは師匠から弟子に引き継がれていくような世界です。時間をかけて一人で探求するというのが、修行と似ていて性に合ったのかもしれません。
昔から味覚や嗅覚に敏感で、グルメ漫画が好きだったこともあり、どんどん自分の好きな世界を深めていきました。
コーヒー嫌いだからこそ焙煎技術に磨き
焙煎職人として社会にも経済活動にも参加してお金を稼ぎつつ、自分一人だけの世界にも集中できる。非常にいいポジショニングでした。自分が手に入れられる素材の嫌なところをいかに消すかが腕の見せ所と思って技量を磨いていたときに、「いやいや悪いところを消すだけじゃなくて実はすごくいい素材があるんだ」ということを知りました。
当時の夢は「日本一の焙煎職人になる」でした。そのためには、最高級の素材が必要になります。すし職人の世界では、マグロなど最高の食材を仕入れられないと一流とはいえませんよね。それと同じで、最高のコーヒー豆を手に入れたい欲求に駆られる。日本には入ってきていない、高品質な豆が世界にたくさんあることを知ったのです。
スペシャルティコーヒーの流れがくるわけですね。
丸山氏:2000年ごろに日本にもそうした豆が入り始めてきました。ただ、それまでの日本ではとにかく「ブルーマウンテン」が圧倒的なブランドでした。
そこにあえて、日本では無名のエルサルバドルとかパプアニューギニアのおいしい豆を入れて売ろうという発想が業界全体にあまりなかった。
どんなに味が良くても、業界の中では二級品扱いです。ここを輸入しても売れないし、これまで作ってきた商品のヒエラルキーも崩れちゃう。なので、中堅企業も含めて誰も手を出さなかった。結果、私たちのような小規模な焙煎業者にお鉢が回ってきたのです。
20年前はまだ軽井沢でコーヒーショップを営みながら焙煎をしていた時期ですよね。
丸山氏:町のおいしいコーヒー屋さんレベルで、年間売上高は1000万円にも満たない規模です。ただ、生産国の業者も日本では小規模業者からしかマーケットに入っていけないというのが分かったようで、私たちのような自家焙煎店に関心を持ってくれた。
それぞれのお店単独だと、必要な豆はキロ単位です。でも、業者からすれば最低でもトン単位で買ってもらわないと困る。零細ながらも高品質な豆を買いたい店を束ねて、共同買い付けをしました。
初めて買ったのがアフリカのザンビアの豆です。たしか100俵(6トン)か110俵だったと思います。300俵入るコンテナが埋まらなかった。丸山珈琲が買うのは3~4俵程度。それでも相当な覚悟が必要でした。
日本市場の開拓を狙うスペシャルティコーヒーの海外での展示会や、来日する生産者の応対、勉強会などに呼ばれるようになりました。小規模な自家焙煎店の中で、英語が話せて外国人と交渉ができる人材がいなかったからです。
すごい伏線回収劇! インドの経験が生きましたね。
丸山氏:いただいた話は全部NOと言わず、手弁当で引き受けました。自分の店もやりつつですから、本当に一生懸命働きました。すると、わらしべ長者的に任せられることが増えてきて。小さなコーヒー屋なのに、気づけば日本市場について海外でプレゼンしてほしいと言われるまでになったんです。
そこで培った人脈などから、自ら海外で直接豆を買い付けする卸事業を本格化し、軽井沢だけでなく東京都内などにもお店を出せるようになりました。
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