「自分探し」ではなく、ガチでインドに修業へ
いわゆる「自分探し」でしょうか。
丸山氏:よく「自分探し」する人っていますよね。1980年代後半、日本はバブル経済に突き進んでいたときです。インターネットなどもちろんありません。その当時から、修行しにインドへ行く人は一定数いましたが、比較的考えが浅いままに行く人も少なくありませんでした。私の場合は割とガチ。
ガチですか。
丸山氏:ガチです。精神修養を積んで聖(ひじり)になりたかった。1回社会でもまれて挫折して、そこから入ってくる人が多く、周囲に同世代はいませんでした。修行をする場にはボンベイ(現・ムンバイ)から小さな飛行機に乗って行くのですが、目的はみなほぼ修行です。そこで出会ったデンマーク人とその場で相談してルームシェアを決めました。
現地では、インド人だけでなく、欧米の人ともたくさん議論をしました。自分の考えや主張を通すためのけんかもよくしたものです。
あらゆるルーツを持つ人たちと腹を割って話したこの経験は、後にコーヒー豆の仕入れで世界を駆け回って現地の人と交渉するときに役立っています。インドでの経験があれば、(コーヒー豆の産地である)中南米の人との交渉なんかも何も怖くない。

コーヒーそっちのけで修行に興味を持ってしまいました。なぜ世捨て人の身から日本のビジネス社会に転身したのでしょうか。
丸山氏:修行といっても、生きていくためにはご飯も食べなければいけません。結局、食べていくためにはお金が必要になるわけです。修行する身でありながら「何分あなたとセッションしたから、200ドルください」というのは、いかがなものかと。
口では偉そうなことを言いながら、結局お金に汚いタイプの人も出てきて。そういう矛盾が気になりまして。それだったらきちんと社会参加しながら報酬を得ればいいのに、と考えるようになったのです。それに気づくまでに3~4年かかりましたが。
そこまでのめり込み、歩んできた道に違和感を覚える。これも進学校に失望したのに続く挫折でしょうか。
丸山氏:そうですね。でもインドで感じたのは、宗教もある意味、経営です。教祖には経営手腕が求められる。広めていくにはマーケティングの視点が不可欠です。そういうところが嫌で日本に帰って自分でビジネスを始めたのに、事業の成長に従ってマーケティングの知識も必要だと勉強したときに、インドの思い出がよみがえりました。挫折ではあるんですが、やっぱり経験は無駄ではなかった。その後に必ず生きてくる。
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