<span class="fontBold">「日経ビジネスLIVE」とは:「</span>読むだけではなく、体感する日経ビジネス」をコンセプトに、記事だけではなくオンライン/オフラインのイベントなどが連動するプロジェクト
「日経ビジネスLIVE」とは:「読むだけではなく、体感する日経ビジネス」をコンセプトに、記事だけではなくオンライン/オフラインのイベントなどが連動するプロジェクト

 ビジネスパーソンとしてどう成長していくか――。特に若い世代では大きな関心事です。では、注目を集める成長企業の経営者は、30代までに何を学び、どんな経験を積んできたのでしょうか。本インタビューシリーズでは、若手ビジネスパーソンにも知られる起業家・経営者に「自分のいまを形づくった若い頃の経験、努力、失敗」などを振り返っていただきます。また、本シリーズと連動して日経ビジネスでは、若手読者向けにこうした起業家・経営者の経験やビジネススキルをオンラインで学ぶ日経ビジネスLIVEを展開しています(日経ビジネス電子版有料読者は受講料無料です)。ウェビナーの日時・プログラムの詳細はこちらをご覧ください。

 軽井沢のペンション跡地に開いた喫茶店から、高品質で持続的に生産できる環境を整える「スペシャルティコーヒー」を日本に広めた先駆者として知られるのが、丸山珈琲(長野県軽井沢町)の丸山健太郎社長。コーヒー豆の卸事業を主軸に自らも店舗を持つ。丸山社長は国際品評会で審査員も務めるコーヒー豆の第一人者である。その経歴は異色だ。高校卒業後に日本を飛び出し、「修行」のためにインドを放浪。20代でコーヒー豆の焙煎(ばいせん)に没入した理由は「コーヒーが嫌いだったから」。山あり谷ありの人生の経験を生かし、自らキャリアを築いた丸山さんの若手時代とは。

<span class="fontBold">丸山健太郎</span>・丸山珈琲社長。1968年生まれ、53歳。神奈川県出身。進学校の高校に合格するも受験戦争に失望。卒業後にインドを放浪。帰国後、91年に長野県の軽井沢にあるペンション跡地で喫茶店を開業。焙煎技術を磨き、コーヒー豆の仕入れや卸事業も手掛ける。海外に自ら足を運んで豆を買い付け、国際品評会では審査員も務める第一人者。2018年から20年までは日本スペシャルティコーヒー協会の会長も務めた。(写真はすべて的野弘路)
丸山健太郎・丸山珈琲社長。1968年生まれ、53歳。神奈川県出身。進学校の高校に合格するも受験戦争に失望。卒業後にインドを放浪。帰国後、91年に長野県の軽井沢にあるペンション跡地で喫茶店を開業。焙煎技術を磨き、コーヒー豆の仕入れや卸事業も手掛ける。海外に自ら足を運んで豆を買い付け、国際品評会では審査員も務める第一人者。2018年から20年までは日本スペシャルティコーヒー協会の会長も務めた。(写真はすべて的野弘路)

丸山さんは世界各地の生産地に自らコーヒー豆を買い付けに行き、豆の国際品評会では審査員も務めるスペシャリストではありますが、そもそも昔からコーヒーが特にお好きだったというわけではないそうですね。

丸山健太郎社長(以下、丸山氏):そうです。コーヒー好きで、それに携わる仕事がしたいと思えば、日本でも有名なコーヒーを扱う企業や商社などに入って、知識や経営を学ぶでしょう。でも、私が歩んできた道は全く異なります。

 まずは高校卒業後に「世捨て人」としてインドで瞑想(めいそう)などの精神修養の旅に出るところから始まりますから。ピカピカなほかの企業のトップに比べたら、泥だらけですね。泥がいっぱい(笑)。最短距離ではなく、回り道ばかりです。それでも、すべての経験が今につながっていると感じています。

世捨て人としてインドに瞑想の修行に出てからコーヒーのスペシャリストになるまでの道筋が全く思い浮かびません。詳しく教えてください。

丸山氏:世捨て人になったのは、高校時代の挫折からです。高校受験に向けて必死に勉強し、地域でそれなりの進学校へ進みました。しかし、入ったら周りもみんな秀才ばかり。ここからまた毎日7時間とか勉強して、いい大学に行かなきゃいけないと思った瞬間に「やめた」と思ってしまった。

 私は性格が極端なんで、受験戦争とは対極的な世界にのめり込むようになりました。その頃から宗教とか心理学に関心があったので。高校を卒業してからアルバイトをして、その後単身、インドへ渡りました。

続きを読む 2/4 「自分探し」ではなく、ガチでインドに修業へ

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