<span class="fontBold">「日経ビジネスLIVE」とは:「</span>読むだけではなく、体感する日経ビジネス」をコンセプトに、記事だけではなくオンライン/オフラインのイベントなどが連動するプロジェクト
「日経ビジネスLIVE」とは:「読むだけではなく、体感する日経ビジネス」をコンセプトに、記事だけではなくオンライン/オフラインのイベントなどが連動するプロジェクト

 ビジネスパーソンとしてどう成長していくか――。特に若い世代では大きな関心事です。では、注目を集める成長企業の経営者は、30代までに何を学び、どんな経験を積んできたのでしょうか。本インタビューシリーズでは、若手ビジネスパーソンにも知られる起業家・経営者に「自分のいまを形づくった若い頃の経験、努力、失敗」などを振り返っていただきます。また、本シリーズと連動して日経ビジネスでは、若手読者向けにこうした起業家・経営者の経験やビジネススキルをオンラインで学ぶ日経ビジネスLIVEを展開しています(日経ビジネス電子版有料読者は受講料無料です)。ウェビナーの日時・プログラムの詳細はこちらをご覧ください。

起業家やコミュニティーづくりを支援するスタートアップLEOの代表を務める粟生万琴氏は、2016年にAIベンチャーを立ち上げ、20年にLEOを創業した連続起業家だ。20~30代は大手人材会社、パソナグループの子会社で働き、役員の地位を得ながらも起業家に転身し、新たなチャレンジを続ける。そんな粟生氏は自分の進む道をどう見つけたのか。

<span class="fontBold">粟生万琴(あおう・まこと)氏</span><br>LEO代表取締役CEO。三重県出身。大学卒業後、エンジニアとしてソフトウエア開発に従事、2003年にパソナテックに転職し、12年同社初の女性執行役員に就任。パソナテックの役員の傍ら、16年、DeNA元会長の春田真氏らとともに、AIベンチャーのエクサインテリジェンス(現エクサウィザーズ)を創業。20年に起業家やコミュニティーづくりを支援するLEOを創業し、代表取締役CEOに就任。19年10月から名古屋の事業や起業家を支援する施設「なごのキャンパス」の企画運営プロデューサー、21年4月から武蔵野大学でアントレプレナーシップ学部の客員教授、名古屋大学産学官連携推進本部の客員准教授も務める(写真:上野英和、以下同)
粟生万琴(あおう・まこと)氏
LEO代表取締役CEO。三重県出身。大学卒業後、エンジニアとしてソフトウエア開発に従事、2003年にパソナテックに転職し、12年同社初の女性執行役員に就任。パソナテックの役員の傍ら、16年、DeNA元会長の春田真氏らとともに、AIベンチャーのエクサインテリジェンス(現エクサウィザーズ)を創業。20年に起業家やコミュニティーづくりを支援するLEOを創業し、代表取締役CEOに就任。19年10月から名古屋の事業や起業家を支援する施設「なごのキャンパス」の企画運営プロデューサー、21年4月から武蔵野大学でアントレプレナーシップ学部の客員教授、名古屋大学産学官連携推進本部の客員准教授も務める(写真:上野英和、以下同)

粟生さんはシリアルアントレプレナー(連続起業家)として知られますが、大学卒業後にソフトウエア開発のエンジニアを経て転職したパソナテック(パソナグループの子会社)では、執行役員、取締役にまでなりました。組織の中で順調なキャリアを歩んでいたように見えます。なぜ起業に踏み切ったのでしょうか。

粟生万琴氏(以下、粟生氏):起業するきっかけは、2014年に仕事でシリコンバレーを訪れたことでした。パソナテックで、国内外の拠点立ち上げや新規事業の立ち上げに携わっており、シリコンバレーには、日本の大学発ベンチャーを目指す学生の引率係として行きました。起業家たちのたまり場にも立ち寄ったのですが、そこで現地の起業家に「ユーはなぜ起業しないの? 技術もマネジャーの経験もあるのに、ずっと会社員をするつもり?」と言われたのです。そのときに、「あ、確かに私は今30代後半で、この先ずっと今の会社で働き続けるのかな」と考え始めました。

 大学卒業後に就職したIT企業では、約5年間みっちり技術をたたき込まれましたし、パソナテックでは事業をつくるためのマネジャーや経営者としての経験は積んでいました。シリコンバレーで、アメリカのアントレプレナーカルチャー(起業文化)に触発され、「自分もやってみよう」と奮い立ちました。

 異なる環境に身を置いて、経験を積むのは大事なことです。私の場合は、アメリカの西海岸で盛んな起業文化に触れたから今があります。頭で考え過ぎず、経験や体験をしてみることが人生を変えるきっかけになると思います。

起業で「とらわれない」働き方が可能に

 ただ、いざ起業しようと思っても、私にはまだ役員としての任期が1年残っていました。初めは起業するために退任を申し出たのですが、なんと会社のオーナーが引き留めてくれたのです。「(パソナテックの仕事も起業も)両方やれば?」と言ってくれたわけですよ。私の頭にはそんな選択肢はまるでなかったのですが、こうした後押しもあって役員を続けながら起業することにしました。

そもそも起業は考えていたのでしょうか? 20~30代を通して会社勤めで過ごすと、そのまま流されるように会社勤めを続けてしまう人が多そうです。

粟生氏:最初は起業という選択肢なんて考えたこともありませんでした。起業したのは、ほかの起業家に比べて遅いほうです。もっとも、お客様やマーケットに近い立場で事業やソフトウエアをつくってみたいとは思っていました。

 13歳でプログラミングに出会い、コンピューターが自分よりも速く正確に計算できることに感動しました。それ以来、とりこになり、大学卒業後はソフトウエアのエンジニアとして就職しました。ITの3K(きつい、汚い、給料安い)と言われるぐらいハードワークでしたが、技術の仕事がしたかったので頑張りました。やりたい仕事をしながらスキルが身について、お金までもらえるのだからすごいことだと思いました。ただ、30代になっても毎晩遅くまで働くのは続けられない。もっと働きやすい企業に転職しようと思い、選んだのがパソナテックです。

 ただ、働き方を改めるために転職したはずなのに、結局、転職後も仕事が楽しくてめちゃくちゃ働きました(笑)。新卒で就職した職場が長時間の労働を必要とする仕事だった場合、たぶんその後もずっと長時間働けてしまうんでしょうね。逆に、最初から毎日9時~17時で働いていた人は、30~40代になって急に22時まで働くような職場に行っても、そのスタイルに切り替えられないと思うんです。これは、どちらがいいという話ではありません。重要なのは「とらわれない」ことです。時間や場所にとらわれずに集中して働ける環境が理想ですね。

 起業はその最たる形だと思います。自分の時間軸で、自分の選択で、組織にすらとらわれずに働けます。

起業するのに20代と30代、それぞれのどのような経験が生きたと思いますか?

粟生氏:先ほど起業するのが遅かったと言いましたが、10年以上お世話になったパソナテックでの日々は濃厚でした。事業を立ち上げるために必要なマネジャーや経営者としての経験を積ませてもらいましたから、起業には大変役立ちました。後悔はありません。

 20代は時間にとらわれずにひたすら目の前の仕事を一生懸命やることです。それが一番の力になります。食わず嫌いはしないほうがいい。みんな頭で考えがちですが、やってみないと分からないですから。一生懸命仕事をした経験は、必ず自分の蓄えになります。

続きを読む 2/2 他の人にとらわれ過ぎると自分を見失う

この記事はシリーズ「若手経営者が明かす、30代までに学ぶ「ビジネスの流儀」」に収容されています。WATCHすると、トップページやマイページで新たな記事の配信が確認できるほか、スマートフォン向けアプリでも記事更新の通知を受け取ることができます。