日本企業の現場は愛であふれている
愛社精神、というか今では「隠れ愛社精神」と言ったほうがよいな。この隠れ愛社精神が日常で発動されるのが、日本企業の経営者が自慢してやまない「我が社の現場力」というやつだ。カイゼン活動のような目に見えるもの以外にも、現場の人たちが日々、自ら課題を見つけてはちまちまと改善する。自分の仕事でなくとも、手が空いているなら率先して手伝い、「皆も頑張っている」のだからと長時間労働をいとわない。
「おいおい、それって同調圧力に屈したり、忖度(そんたく)したりしているだけじゃないの。愛社精神とは違うのでは」と異議を唱える読者もいるだろう。確かにその面はある。ただ大企業ではいまだに、新卒で入社して定年・再雇用までずっとその会社で世話になろうと思っている社員が大勢いる。歳月にして40年以上、しかも残業もいとわず長時間労働するから人生の大半を会社に費やす時間が占める。こうなると会社は働く場というより、生活の場であり、自分が所属するコミュニティーである。
そんな訳なので、社員にとって所属する会社はとても大切な存在なのだ。単に仕事で成果を出して自己実現を図り、お金を稼ぐ場だけでなく、自分のアイデンティティーそのものとなる。だから令和の世になっても、ライバル企業に転職した人を裏切り者呼ばわりする社員が少なくない。新卒一括採用、年功序列、終身雇用の日本型雇用制度が崩れない限り、こうした昭和のメンタリティーは変わらない。誰もが「うちの会社」にラブなわけだ。
以前の極言暴論で、米Amazon.com(アマゾン・ドット・コム)の有名なモットー「善意(良い意図)は役に立たない。仕組みだけが役に立つ」を引き合いに、現場に善意が満ちあふれている日本企業のDXの難しさについて言及した。ただ、日本企業は善意だけでなく、会社への愛も満ちあふれている。そして満ちあふれた愛は、善意とは別の意味でDXを難しくする。
関連記事 アマゾンの正論「善意は役に立たない」を理解しない日本企業、DXで赤っ恥は確実だ考えてみればすぐ分かることだが、DXが変革である以上、経営者から現場の社員に至るまで誰もが幸せになれるわけではない。DXはデジタルを活用したビジネス構造の変革である。デジタル時代においても顧客に価値を提供し続けられるよう、そして株主が期待するリターンを提供し続けられるよう、企業の形や在り方を変える取り組みだ。その結果、用済みになる部門や社員が生じる。どんなにきれい事を言ったところで、変革を成就するために、部門や社員を切り捨てなければいけない局面が出てくる。
例えば大きな話で言えば、クルマがこれから先、電動化して自動運転車へと変わっていくから、自動車産業全体がDXの必要性に迫られている。クルマ向けのデジタルサービスなどで新たな雇用が生まれるだろうが、電動化などを強力に推進すれば自動車メーカーや部品メーカーで多くの雇用が失われるのは必至だ。「雇用を守りながら……」などと言っていれば、変革はなかなか進まず、日本の自動車産業、そして「ケイレツ」企業は没落してしまうだろう。
変革にはそんな厳しさがある。愛社精神というか、自分が所属する会社というコミュニティーを愛してやまない人たちに、そんな冷徹な取り組みができるだろうか。特に経営者からDXを丸投げされているようなら、「うちの会社を良くしたい」「皆がハッピーになるようにしたい」という熱い思いを持った人が「A部署の業務は不要になり、Bさんたちもリストラされるかもしれないが、やむを得ない」といった変革を推進できるわけがない。結局は甘あまの取り組みしかできず、デジタル変革ならぬデジタルごっこで終わってしまうだろう。
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